「その日」
このnoteが世に出ているということは、そういうことになる。ついに「その日」が来るってことだ。もう憶測でも何でもない、眼の前に提示された事実。そういうこと。
「その日」が来る覚悟
飛鳥ちゃんの、卒業。そんな日はずっと来ないでほしいと思ってた。10thバスラでの飛鳥ちゃんの決意の目を見るまでは。でもあの日産スタジアムで、覚悟を決める時が来たんだなと、そう思ったんだよな。
10年目の節目のあの日産スタジアムで、飛鳥ちゃんは未来を見ていた。確実に、そう感じた瞬間があった。(この飛鳥ちゃんの「目」は心の中にずっととどめておくつもりだったのに、直後の工事中で流れちゃったもんだから、貼っておくね)
卒業なんて今まで飛鳥ちゃん本人から一言も言ってなかったのに、飛鳥ちゃんを愛しているはずの我々が勝手に邪推するのは本当に良くない。そう思いつつも、遅かれ早かれ来るその日に向けて覚悟は決めなきゃいけなくて、でもいざそんな日が来たらきっと何を言っていいか分からなくなるだろうから、気持ちを整理しておきたくてこのnoteを書きます。少しずつ書き溜めているので(出来ることなら公開する日は来てほしくないのだけど)、時系列ぐちゃぐちゃです。
飛鳥ちゃんがいる世界でよかった
彼女は、世界を変えたい人だと思っている。そう言うと、そんな大げさなこと考えてないよ、と言われそうな気もするが、もう少し正確に言えば「自分のいる意味を少しでも残したい人」なんじゃないかと勝手に思っている。「ありふれた生き方で過ごすより、自分が少し変えてみた方が面白い」っていう発想が意識的にせよ無意識的にせよ、彼女のどこかにある。
雑誌のインタビューにせよ、テレビでのコメントにせよ、さりげない質問の答えにも、必ず飛鳥ちゃんにしか出せない色が入っている。たぶん「普通」が面白くないんだと思う。普通にしてたら、普通の世界になっちゃうから。普通の世界を少しでも面白く生きたい。それが彼女の生きる意味であり、それこそが齋藤飛鳥だ。
飛鳥ちゃんのどこが好きか。そう聞かれたら、まず一番にこのことを答えることにしている。飛鳥ちゃんの「タダでは終わらせない」ところが、一番好きなんだ。飛鳥ちゃんと同じ時代に生まれてよかった。
乃木坂46の齋藤飛鳥さん
今では相当な経験を積んで、ライブでも堂々たるパフォーマンスをする飛鳥ちゃん。キメ顔だなんてわざわざ言わなくても、常にキマっている彼女。
でも、飛鳥ちゃんパフォーマンス史的には、重圧に押し潰されたのが2016、軽く流せるようになったのが2017、余裕がうまく作用したのが2018、再び重圧を受けつつも跳ねのけたのが2019、そして意識しなくてもキマるようになったのが2020。ここまで来たのは、意外と最近の話だ。
ここまで来るまで、本当にいろんなことがあったし、本当に大変だったんだ。裏での努力は知らないじゃないかって? 確かに僕たちファンからは見えないかもしれないけど、そんな見えない部分を含めて、今までの全部があって、今がある。それを僕たちは知っている。そう言わせてほしい。
飛鳥ちゃんにとっての、自由な夏。真夏の全国ツアー2022の飛鳥ちゃんは、本当に自由で、楽しそうで、幸せそうだった。全ての重圧、制約から解き放たれた、自身の11年間を味方につけた、最強の姿だった。
現在の3期生を中心とした乃木坂シーンにおいて、しかし決して隠居することなく「まだまだ負けない」宣言もして、「後輩たちと同じバトンを持って一緒に走った」夏。そんな最高の夏の全国ツアーが、毎回「裸足でSummer」で始まったことは、この先もずっと忘れないだろう。
ありがとう、僕らのハマスカ放送部
我らが『ハマスカ放送部』。そう、正真正銘「推しの冠番組」なのである。ファンにとって、こんなに嬉しい存在があるだろうか。こんなに誇らしい存在があるだろうか。
最初はド深夜ローカルだったこの番組も、時間が早くなりネット局も増え、なんとリアイベまで開催できるようになったらしい。飛鳥ちゃんが国民的スーパースターになるその日を夢見る僕たちファンにとって、本当に幸せなことだ。飛鳥ちゃん、おめでとう。ハマさん、ありがとう。
そしてなにより嬉しいのは、この番組が単なる冠番組ということではなく、どこまでも果てしなく、飛鳥ちゃんに寄り添った番組づくりをして下さっているということ。ただ飛鳥ちゃんに甘い、ということではなく(まあ甘いが)、飛鳥ちゃんの核心にある魅力的な部分が思う存分引き出されているのは、ハマさんと作家さんスタッフさんたちの愛の力以外の何物でもなくて、それを引き出せる飛鳥ちゃんの愛おしさが起こした奇跡でしかなくて。ハマスカ放送部、そこにあるのはそんな愛の物語なのだ。
飛鳥ちゃんは、どこへ行く?
ちょっとネガティブな、というか現実的な話をしたい。
ドラマ、映画、舞台。彼女が輝く姿は色んなところで見てきたし、推しフィルター無しでも決して悪くないところだと本気で思っている。
ただ、正直なところ、かつて舞台や演劇を自身の武器として旅立っていった卒業生たちほど、彼女は目立って何かに特化してきたわけではない。何をやっても涼しい顔で卒なくこなす彼女だが、何かが飛び抜けて上手な「キャラ付け」は獲得していない。だから、率直に言って不安が無いわけではない。(馬鹿野郎、ファンがそんなこと言ってどうするんだよ)
グループアイドルは難しい。もちろん世代が変わっていくことが、グループにとってどれだけ重要なことかは分かってる。そんな今だからこそ、このまま乃木坂46の今の位置にいることが、飛鳥ちゃんにとって本当に幸せなことなんだろうか。もうこれ以上シングルのセンターさせてくれないなら、いっそ早めに卒業したほうがいいんじゃないか。そんな気すらするわけで。やっぱり乃木坂にいようがいまいが、推しメンには一番の場所にいてほしいわけですよ。それが推しメンってもんでしょう。
飛鳥ちゃんの卒業後。僕らは飛鳥ちゃんのどんな姿を見ることが出来るのだろう。アイドルから、タレントへ。その転換がどれだけ難しいのか我々には計り知れないし、こう言っちゃなんだが、それがうまくいかない人もたくさん見てきた。
でもね、数年前卒業して、本当に大成功している卒業生を僕らは知っている。アイドルの卒業の理想像かのような、西野七瀬さん。
なぁちゃんを見てたら、気づいたんだよね。「生身の人としての魅力を商売道具とするアイドルから、持ちうる芸を商売道具にする俳優へ」そんなの、こっちの勝手な思い込みで、本当に魅力的な人は、アイドルだろうが俳優だろうが歌手だろうがモデルだろうが、どんな形でも輝けるんだってことに。
安心してもいいんだ、きっと。だって、飛鳥ちゃんほど魅力的な人が、輝けないはずないもん。
この思い届け Clap your hands…
卒業。たぶんその事実と向き合うとき、必死に前を向きながら、必死に笑顔を見せながら、だけど心が震えて涙があふれるんだと思う。
乃木坂46には、そんな歌がある。飛鳥ちゃんがセンターを務める、その歌。楽しくて幸せで、心が奥底まで満たされて。でもなぜか涙が止まらなくなるんだ。国民的アイドル乃木坂46が誇る、飛鳥ちゃんの歌。「Sing Out!」
彼女が卒業する「その日」。それは何かの終わりでも、始まりでもなく。ただただ彼女の壮大な物語における、重要な通過点。
飛鳥ちゃんが大好きなんだろ、お前。そんなに肩を落とすなよ。「乃木坂46の齋藤飛鳥」はまだ終わらない、むしろここからだろ。ただで卒業していく人じゃないことを、僕たちは知っているじゃないか。