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卒業についての2つの問い

 私は乃木坂オタク・・・のみんなが好きです。乃木坂ちゃんたちの幸せを日々願ってやまない人はみんな同胞だと思っています。逆に言えば、それが最低限乃木坂オタクを名乗る条件だと思います。以下の話は、その前提です。

 メンバーの卒業が発表されるたびに、オタクの様子を見ていると、本当に人それぞれの受け取り方があるんだなぁと思わされます。メンバーにもオタクにも、それぞれの人生、それぞれのアイドル像、それぞれの想いがあるから、十人十色の受け止め方が出るのは見ていてとても感心させられます。
 ただ、いろんな声を見ていて、通底して自分の中でひっかかるところがあったので、考えていたところ、2つの問いが浮かびました。


問い1 彼女たちはなぜ卒業するのか

 卒業に際し、メンバーは当然多くを語りません。だから本当のところは分からないけれど、いろんな理由があると思います。
 後進に席を譲るため、もう十分にやりきったと思えたため、新しい仕事がしたいため、運営が要請しているため、体力・肉体が持たないため、これ以上の展望を見込めなくなったため、忙しすぎる日々に嫌気がさしたため、キャリアを身に着けたいため、アイドル業が自分に合わないため、恋愛がしたいため…
 本人から明確に発信されたものもあれば、思っていても絶対に言えないものまで色々ありますが、正直なところ、清々しく卒業していくメンバーもいる一方で、笑顔の裏にどこかうしろめたさや不本意さをのぞかせるメンバーも少なくなかったと私は思います。

 もちろん、卒業していく彼女たちが残す言葉には、嘘があるとは思っていません。ファンの応援に助けられた支えられた、乃木坂にもっといたい、乃木坂のことが大好きだ。そういった彼女たちの発言は、概ね事実なんだと思います。そこは信じさせてほしい。
 でも、彼女たちの人生にとって、アイドルを続けることは本当にいいことなのだろうか、というところはずっと引っ掛かります。彼女たちはアイドルになったことで本当に幸せになっているのでしょうか。
 卒業は、彼女たちが切に望んでいることだとしたら?

 結局のところ、推しメンの幸せを一番に願っていたはずのオタクが、自分が推しメンを応援することで推しメンを不幸にしているのではないかという究極の矛盾にぶつかります。でも、オタクってのはこの十字架を背負って生きる宿命だと思うんです。目を背けちゃいけない。

 東京ドームの大舞台で「乃木坂は私の全てです」と言い切った推しメンに対してよくそんなこと言えるな、と言われればその通りなのですが。でもやっぱり、本人がどう考えるかと別の次元で、負の側面はあると思うのです。


問い2 「卒業」は「別れ」なのか

 卒業は寂しい。みんなそう言います。でもそれってどこからの目線なのでしょうか。卒業は本当に別れなのでしょうか。(ここでは引退はいったん別物として考えてください※)
 もちろんメンバー同士は寂しいと思います。日々仕事で一緒にいて、強い絆で結ばれた仲間が、ある日からそこにいなくなってしまう。別れの寂しさはひとしおだと思います。

 ではオタクにとっては? 卒業して別れるってことは、自分は「乃木坂側」に残るってことにならないでしょうか。乃木坂ちゃんだけが全世界ではないはずです。推しならば、一緒についていってあげましょう
 あるいは「アイドルとしての推しメン」との別れ、ということも出来るかもしれません。でも、新しい道に進もうとしている推しメンを受け入れませんか。一緒についていってあげましょう

※「引退」は、オタクからすれば文字通りの別れなので、寂しいのは分かります。まあ、引退したとはいえどこかで元気にやっているでしょうから、気持ちの中では推しと共に、同じ新しい世界へ一緒に踏み出せばいいのです。そういう人を知っています。心が強いなと思います。(いい意味)


まとめ
 オタクは自分勝手でいいんです。
というか自分勝手じゃないオタクなどありえない。だからこそ、オタクはちゃんと自分の罪を意識したうえで、乃木坂ちゃんたちの幸せを日々願おうねってことで。自分勝手にね。
 
たくさんのメンバーが卒業していった今年、卒業を悲しむオタクの心が少しでも軽くなりますように。


それでは今日はこの曲でお別れです。
生田絵梨花で「卒業」