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アルフォートというお菓子の正義
台風が近づいてきて家に籠っているから、久しぶりにPCのキーボードに指を置いてみました。
1秒もせずに条件反射というか、無意識にというか、何を書こうか考えていなかったわたしの指が打ち出したのは、この記事のタイトル。
「アルフォートというお菓子の正義」
なんのこっちゃ、です。
ただ、書いてから、昨日の深夜に寝ぼけながらアルフォートを食べたことを思い出して、その時の背徳感というか、背徳感を感じていて尚これでいいんだ、今これを食べているのは真っ当なことなんだ、という全能感を思い出して、アルフォートって正義だよなぁ、本当にそうだよなぁと思いました。
なんのこっちゃ、です。
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しばらく忙しい日々が続いていましたが、それは忙しく見せかけているだけで、実際はちゃんと眠ってちゃんと食べてちゃんと麻雀アプリで遊んでいました。
誰かから「疲れた」という言葉を聞くたびに、「疲れるほど働くな」という『踊る』の和久さんの言葉を送り、真面目にやるけど余力は残しながら息してゆけ、と自分にも言い聞かせました。
疲れすぎるとろくな選択ができないし、ろくな言葉を吐かないし、ろくな眠り方ができない。
それは自分で経験済み。
最終自分を助けるのは自分だし、自分のギアをコントロールできるのも、自分を許せるのも、自分しかいないのだと最近はわかってしまったから。
矢印を自分に向けた時、物事は至極シンプルで残酷なのだということがわかって、おもわず笑ってしまったことがあります。
誰も助けてくれない、というのは真理かもしれないけれど、自分しか自分を助けられない、というのは間違いようのない現実だと思っています。
だから昨日も、深夜にアルフォートを食べることを、わたしはわたしに甘んじて許したのです。
だってアルフォートというお菓子は正義だから。
意味なんかなくたって、そこに在るだけで。