わたしの中の時間
夕飯時、
ご飯これだけ?
とご飯と魚のフライの夕飯をみて
旦那さんの機嫌があきらかに悪くなった。
味噌汁は?
ない。
夕飯がこれだけ。
そこだけを切り取れば、おかず少なすぎないになるかもしれない。
でも 【ない】にはさかのぼって朝からの出来事がある。
朝5:00
洗濯機まわしながら化粧しながら録画講座受講
朝6:00
朝ごはんと夕飯の準備を始める
朝7:00
小1と小6をおこす
朝7:45
小1が学校いきたくないと大泣きし、分団では登校できず、学校までおくりとどける
朝8:15
出社
出社の時点でもうすでに一日終わったぐらいの疲労感。
夕方4:30
退社
急いで家に帰って、夕飯を完成させる
夕方5:50
習い事へお迎え
夕方6:00
夕飯
夕方6:30
宿題をみる
旦那帰宅
たかが味噌汁つくる時間。
旦那からしたらそうだろうが
それすらの時間も気力もなかった。
人生って自分が主役よね。
わたしはわたしの時間軸しか知らない。
夕飯の物足りなさに機嫌が悪かった旦那も
その瞬間だけを切り取れば言われた私はイラっとするけれど
旦那さんの一日の時間の中からみたらそれは機嫌が悪くなるほどの出来事なのかもしれない。
旦那も私の一日の時間の流れを知らないから味噌汁つくる時間ぐらいと思う。
朝のいきたくないと大泣き息子もそこだけ切り取ったら何でなんでとなるけれど
彼の時間のなかでは普通だったのかもしれない。
私の時間じゃないものは
切り取ったその瞬間しかみえなくて
そこだけみると不満や苛立ちや悲しみの感情がでてくるけど
相手のつながった時間のなかでみたら
その感情がわいてくるのも
当たり前
なのかもしれないと思った出来事。
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