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ボードゲームのパクリorパクリじゃないって話

連続更新5週目かな。
本当は別の記事を出すつもりだったんだけれど、ちょっと話題に上がってたので、せっかくの機会なので、自分向け備忘録含めて、コラムにしておきます。

定期的に出てくるこの話題、「パクリ」について適当に触れていこうかなと思います。思い付きで今日中に出す記事なので、ある程度文章がぐずるのは許容いただけると助かります。(予防線)

ボドゲだと20年ほど、創作界隈だと13年ほどゲーム会、ゲムマ、創作デザイナー、インターネット(たまにエッセン)などを見てきた感想です。90年代のパソコン通信の時はちょっとわかんないです。(伝聞でいくつか聞いたりはしてますが)


1.パクリの話が出る理由

これは結構簡単で、どんな基準を持っている人であろうが、「これはそのままのパクリ」と断定できるぐらいのボドゲが出てくると話題に上がりますね。

2010年以前なんかは、ボドゲ人口が少なかったのと、国産がほとんどなかったんで、ファンによる自警のような形になっていたと思います。パクリじゃないの? ってボドゲが出たら自然と話題に上がるというか。

別の側面として、「国産ボドゲは、今はまだ保護の段階(育ってない)」という認識だったというのもあると思います。だからそういった話題にはセンシティブだったんじゃないかな。
何かしら資料残ってる? と言われると多分何も残ってませんけど。


2.パクリのボドゲがなぜ出てくるの?

ケースバイケースですが、昔からあった話をすると、多分戦後の日本に照らし合わせると多少なりともその大本が垣間見えます。古すぎない?とか思われがちですが、そうでもないと感じます。

というのも、私が見えている範囲ではあるのですが、おもちゃのコピーというのは、日本では多くありました。海外の、特にMB社のゲームなんかをあさってると、「あれ? これに似たゲーム、日本で見たぞ?」ってなります。
もちろん、ライセンスされているであろうものが多くあるんですが、それ以外も多く見かけることがあります。

ボドゲではないですが、黒いネズミの人形やロゴをパロったTシャツとか、そういうコピー文化ということ自体が日本にあるんです。いや、日本に限ったわけじゃなく、ほぼ世界中に、といった方が正確な気がします。

コピーと言えば2000年ごろの中国が目に見える形ですごかったですが、あういうコピーは日本だってやってたんですね。いや、技術や文化の発展には欠かせないことだったりするんですが、それはもちろん、おもちゃ業界にもあったんですよね。

理由は様々だと思いますが、お金が儲かるから、という点に尽きるのかもしれません。周りの思惑は多種多様でしょうけれど。

おもちゃのコピーは現在にもありますね。
実際の話は個々で調べてもらった方がいいかな。異様に安い商品なんかはその可能性がある、ってスタンスで見る癖がついちゃいました。もちろん、違う場合もあるんですけどね。


3.続ボドゲのパクリはなぜ出てくるの?

さて、過去の話や根に紐づいた話は書きましたが、最近のボードゲーム自体のパクリ、と言われるものについては、これらとは全く状況が異なる場合が多いです。
ほら、よく言われる「パクリの定義とは?」とか「パクリの線引きとは?」という不毛な話を見ることがあると思います。

今回書きたいメインはここです。

パクリを見るには、同人ボドゲを見るのが一番早いかもしれません。というのは、「パクリか微妙なのが多い」ということではなく、ただ単純に「数が多い」ためです。

数年前なら見る対象は変わっていました。商業見た方が分かりやすかったからです。でもかなり状況が変わり、パクリっぽいだけで大分言及され、最悪記事にされることも増えました。

商業ベースで作っている場合、数はかなり多く、取引先へも迷惑が掛かってしまうことが大半になってきているように思います。

また、一部の有名なボドゲファンがパクリと言えば、他の人たちが一斉にパクリとして認識するという現状もあるかと思います。(私はこれはこれで馬鹿らしい話と思いますが)

そんな訳で、商業ボドゲでそれっぽいボドゲが出ることは激減したと思います。(ある気はするけど)

さて、パクリっぽいボドゲが出てくる理由はその作成目的と理由に紐づいてきます。


4.これはパクリ? どの部分をパクっているの?

「ボードゲームは何?」と言われたときに、「システム」部分を無条件に指す人はそれなりの数がいるように思います。実際アブストラクトに近づくほどその強さは増し、ボードゲームが面白いのはシステムが面白いからだ、と結論付けている人もいると思います。

ボドゲを商業でやってきて6年程度経ちましたが、それが「システム」ではなく、「商品」という視点になっている(なってきている)気がしています。国内だけではなく、全世界的に。いや、多分元々そうだったんだけれど、私の価値観、視点が増えていくにつれて、そう思うようになったんだと思います。

さて、ボードゲームを「商品」としてみる、というのはどういうことでしょうか。若干横道にそれますが、私の理解で説明したいと思います。ちなみに私と直接話した人には「パッケージ」という言葉を使っていたと思います。

「商品」を考える場合、商品の企画や開発を行っている社会人の人には説明不要かと思います。私の方がその辺は素人だと思いますし……(その程度の認識で書いていると思ってください)

「商品」を作る際、大きな流れがあって、こんな感じです。
1)コンセプト
2)中身(ボドゲの場合、システム)
3)グラフィック
4)ユーザビリティデザイン(言葉が分からないのでとりあえず。UIっす。)
5)クオリティ

これらは全部ではないし、他のパターンもあります。ここの説明用みたいなものです。

これら全体で、もしくは一部で、「パクリ」が存在します。
ボードゲーマーに親しみがあるのは「システム」のパクリですね。ゲーム中はほぼ同じことをしている、ただ、一部しか違わない。だから微妙だけれど、これはパクリだ。という感じで思う人がいると思います。

でも、コンセプトが全く異なる場合もあります。
それに合わせてルールも変わることがありますし、イラストや雰囲気なんかは「別テーマで出した」域に入らないこともあります。

クオリティだけが違うやつは、完全コピーですね。たまにAmazonで売られていることもあるようで、注意喚起の案内が出ますね。


5.パクリに対する認識の幅

そんな訳で、上記の5点について、1つの部分でパクっている、2つ違うなどなど、ボドゲによって異なってきます。

ただ、もしこれを読んでいる人が「パクリ」と言われたくないのであれば、「コンセプト」だけでも異なるようにしておけばといいと思います。
結論だけ書いておきますが、コンセプトが違う、全く異なる根から自分で作れば、テーマやシステム含めて、ほぼ必ずちゃんと別物です。それでも同じ場合、コンセプトが同じなのかもしれません。

ん?コンセプトって? と思う人がいると思います。
ボドゲを作るうえで、最初に作るコンセプト、ということ自体になじみがないかもしれません。最初はルールじゃないの? テーマじゃないの? という人も多いかもしれません。

でも、その根幹には隠れた「コンセプト」が必ず存在します。自分の無意識下にあることが最初は多いかもしれません。

すでに出されているゲームのコンセプトをつかみ、それと異なるようにする、というのもかなり骨の折れる作業です。1年かけても分からないこともあります。作者やディレクターに聞いても正しく伝わってこないことも多くあるかと思います。

ちゃんと自分の作っているゲームのコンセプトを考えれば、ルールも自然と変わっていきます。というか、合わないです、絶対。
ぴったり元のゲームのコンセプトをなぞってしまわない限りは……

うーん、深堀しようとすれば頭では理解できていても説明しにくい部分ですね……


6.起こりやすいパクリのパターン

比較的最近目に見えて多かったものとしては、「衝撃を受けたゲーム」に感化されて作ってしまったパターンです。

これはコンセプト自体が異なるため、別物として作っているつもりなのですが、ボドゲに慣れ親しんだ人にとって中身となるシステム部分に影響が強くみられると、パクリ認定されている部分に足を踏み入れてしまっているんですね。


対してこちらはあまりパクリ認定されませんが、好きなゲームのキメラ(合成ゲーム)を作ってしまう場合でしょうか。

こちらも動きは先ほどのパターンと実際は同じです。
とはいえ、ボードゲーマーになじみのあるシステムで「全く同じ組み合わせがない」ため、パクリ認定はされません。


たまにありますが「セルフリメイク」というのもあります。
過去に出した自分のボドゲをコンセプトを変え、より作りこみを増やしたパターンですね。
ま、パクリってわかっても攻めようがないのでその部分として話題に上がることはないですね。より面白くなった! って言われることの方が多いやつです。


海外を含めると、なんだろう、日本人としてかもしれませんが、倫理的に大丈夫?って思うパターンも見かけます。
例えば、元々が伝統ゲームを参考に作ったゲームを、「私も伝統ゲームを参考にしたんだ」と言い張って作っているところとか。
契約期間が切れたんで、それの亜種のようなゲームをオリジナルとして作ったとか。


これらのパターンは年数を重ねれば重ねるほど様々なパターンが出てきて、今後も別のパターンなんかは出てきそうな気がします。


7.パクリはなくならないのか? パクリは悪なのか?

パクリはなくならないのか、と言えば私の観測範囲ではあるのですが、「改善は可能であるし、なんなら認識が広がることによる防止効果が大きい」です。

昔のボドゲほど手で作ったもの、ジップ袋というタイプでも見られたぐらい古いんですが、その中身については、年々変わってきています。
そして新作発表の中でも含めて、あまり流行りに似通ることなく、出てきているので、数が増えて、知識が前提的に深まると減る(なくなる)というイメージを持っています。


さて、最後に「パクリは悪なのか」と言われれば、全体の1割は悪かもしれないけれど、残りはそうでもない、という結論を今は持っています。これは年々変わるものなので、2021年4月の「今は」としか言えません。

パクる理由を考えれば一目瞭然で、「お金もうけをしたい」となれば、私はNGだと思っています。咎めることはないかもしれませんが、私は必要としません。

他に、先に挙げたボドゲを作る手順の中で、パクっている部分については、そこを軽視していると感じるとそれもNGに感じたりはします。

残りの9割については、そんなことは考えておらず、感じたもの、作りたい衝動によってできたものだと思っています。

0-100だとどっちなの? と感じる人もいるかもしれませんけれど、10ぐらいかな。各自で持っていい判定基準とは思います。

ボドゲに求めているものが違うのと同じように、パクリに感じているものが違うってことで。
(だからって、積極的にパクれって言ってんじゃないよ。念のため)

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