「天寿」を思う
過日、「きょうは、涙が涸れるまで泣いていい日です。」
という記事をUPしました。
実際、涙が涸れ果てるんじゃないかというほど泣いたし、
まだまだ、泣き足りないと感じています。
彼女は19歳でした。
私の物差しではかると、短い短い命でしたが、
そう感じる私も含めて、
彼女の死を知る誰もが、天寿を全うしたと感じる人生でした。
重い障害をもっていました。
それに伴うたくさんの薬も飲んでいました。
それでも、彼女と関わると、
まちがいなく周りの人は幸せな気持ちになりました。
♪アイアイ♪の出だしを口ずさんだら、
私に歌えという意味でした。
両手をぐるぐる胸の前で回したら、
私に「どっかーん」と言ってほしいという合図でした。
彼女は19歳。
認識レベルは、2歳にも達していない19歳。
彼女が死んで、こんなに悲しいのは何故なんだろう。
彼女が死んで、こんなに寂しいのは何故なんだろう。
そして、彼女が生きている間、
周りの人をあんなに幸せな気持ちにしたのは何故なんだろう?
最初、彼女を拒んだ人も、最後は何度も名前を呼んで、
満面の笑みになっていました。
ともに生きることを、心から楽しんでいるようでした。
たぶん。天寿を全うしたんだと思います。
そういう感情を持つ、彼女の周りのすべての人から、
そういう感情を、いっさいがっさい取り除いて。
みんなを幸せにして、与えられた役割を果して、
天寿を全うしたんだと、思います。
まだ、私の心にはぽっかり穴が空いてるけどね。
まだ。ぽっかり空いているのだけれど。