いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46
先日、乃木坂46 1期生 齋藤飛鳥さんの卒業発表があり、
2019年に公開されたこちらの映画を
改めて視聴しました。映画の詳細については以下をクリック
視聴し終わった後、下に進んでいただけると幸いです。
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以下 ネタバレになります・・・・・・・・
ある日、仕事が舞い込んできた。
乃木坂46のことは
名前しか知らなかった。
アイドルのことは、何ひとつ知らなかった。
彼女たちのことを知る、長い旅がはじまった。
集団では糸口がつかめないので
一人ずつ話を聞いていくことにした。
アイドルと、何を話せばいいのか。
メンバーの反応は、様々だった。
ただ、だれもが
こちらの心配をしてきた。
映画の内容は何も決めぬまま、撮影を始めた。
撮影開始は、1年以上前のこと。
乃木坂46は、この年、日本レコード大賞の大賞を受賞した。
考えみると
アイドルドキュメンタリーの真骨頂は、少女の成長譚。
一般の少女がスターを目指す道のりに、最大のドラマがある。
出会ったのは
すでにスターになってしまった、プロフェッショナル集団。
すべてがうまくいっている、ように見える。
何を映画にすればいいのか。
迷走しつづけ、
仕事を断りたいとさえ思った。
しかし、その一風変わった円陣を
再び見たとき、すべてが変わってしまった。
誰もが口をそろえて言う。
「私たちは仲がいい」
そんなことが本当にあるのだろうか?
1期生は、乃木坂46の初期メンバーとして
7年間グループの最前線に立ち、
2期生、3期生と、後輩の加入が続いた。
もしかしたら
彼女たちは
長い歳月をかけて純粋培養された、
極めて特殊な集団なのではないか。
異常に、仲が良かった。
もう少し
話しかけやすそうな人を探した。
2年前に、福岡の島から来た3期生の与田さんは、
動物を愛する人だった。
やってきたのは、激動の日々だった。
メンバーは、隣接する2会場を行き来した。
「なーちゃん」と呼ばれていた西野さんと
与田さんは仲が良かった。
シングルをリリースするたびに、フォーメーションの配置を決める。
なかでも、センターポジションには、特別な意味があった。
乃木坂46は、中国での国際イベントに招かれたりもした。
彼女たちは、ステージの度に
周到なリハーサルを必ず行う。
はじめての人間関係は
手探りだった。
特別な存在なのに
どう伝えればいいのかわからず
西野さんは、与田さんに卒業の報告を
事前にすることはなかった。
慣れていない、はじめての人間関係を前に
喜びと戸惑いだけがあった。
「中国語の挨拶は覚えた?」
と、話すことくらいしかできなかった。
その日は、翌週に控えた上海ライブの振り確認が行われていた。
上海ライブでは、白石さん不在のため
楽曲「シンクロニシティ」のセンターを
ジャンケンで決めることに。
白石さんの代役は簡単に務まるものではない!
と、だれもが心の底で思っていた。
大役を任されてしまった。
その状況に
進んでなろうとする少女たちが、日本中にいる。
さっそく
彼女たちのお披露目に向けた
猛特訓が始まった。
上海公演のアンコールで披露されたのは、
西野さん、最後のセンター曲だった。
中国のファンは、そのメッセージをいつまでも掲げていた。
2年以上前、先輩と初対面したときのこと。
加入以来、
極度の緊張、焦り、パフォーマンスの難しいさに面食らう毎日だった。
不安なとき
大園さんが近寄るのは、きまって飛鳥さんだった。
存在ごとぶつかっていけば、
ズタズタに傷つく。
その対極の歓びも、アイドルは知る。
飛鳥さんに
嫌われた、と何度も思った。
存在ごとぶつかっていけば、
ズタズタに傷つく。
そして、飛鳥さんは
「期待しない」と頻繁に言った。
その人は「展望」というものを持っていなかった。
この頃、1期生の卒業が相次いだ。
卒業する者の、晴れ晴れしさと
残される者の、悲しみ。
その冠番組のスタジオを
「母校のよう」と西野さんは言った。
若月さんも、同じ頃、卒業を予定していた。
グループ活動とは異なる生き方に、将来を見出していた。
過去のVTRを振り返る企画では、
7年間のあらゆる風景が映し出された。
スタジオを途中退出したのは、桜井さんだった。
だれもが同じ未来を見ているとは限らない。
西野さんと高山さんは、いつも一緒だった。
そのファッション雑誌の撮影は
ふたりの小旅行がテーマだった。
失恋に近いのではないかと思った。
だとしたら
あんなに、そばにいたのに
と、あとで絶対に苦しむ。
高山さんは
悲しみの予感を、笑顔で隠していた。
失恋に近いのだとしてら
悲しみは、途方もない。
そんな悲しみを招く「卒業」を
なぜ、するのだろう?
グループ活動と並行して、個人活動を
魅力的にこなすメンバーは多い。
個人活動は、卒業の引き金になるのだろうか。
生田さんは、幼少からのミュージカル女優の夢をかなえていた。
その、数ヶ月後に会った桜井さんは
穏やかな表情をしていた。
西野さん最後の握手会は、地元大阪で行われた。
この頃の西野さんは、
パフォーマンスの練習に鬼気迫るものがあった。
西野さんが、卒業後について
明言を控えていたのが、気になっていた。
乃木坂46の自分と、本当の自分。
かつては、存在ごとぶつかって、ひとつだったのかもしれない。
もしかしたら
自分が自分でいられる、拠り所でもあったアイドル業。
そこから、自分の脚だけで立てるようになることを
立ちたいと願うことを
「卒業」と言うのかもしれない。
生き方は、探している最中にも見えた。
演技には自信は無いという。
卒業の瞬間、はじまるのは
乃木坂46ではない
新しい自分を探す旅。
「全部があった」というグループから
離れるのはどんな気持ちなんだろう。
卒業したら何をしたい?と、改めて聞くと
「刺繍を習いたい」
「車の運転免許をとりたい」
「片付けの上手な、丁寧な暮らしができる人になりたい」
と、西野さんは答えた。
年末の歌番組出演に向け、
振りの確認が行われた。
臨むは、大賞2連覇がかかった日本レコード大賞と、紅白歌合戦。
彼女たちのパフォーマンスは
集団で紡ぎ出すアートであり、
感動を呼び起こすためには、
想像力を駆使しなければならない。
そんな最中にあって
別れの時は、近づいていた。
西野さんのグループ活動は、
大晦日で終了することになっていた。
翌日の夜、いよいよ日本レコード大賞の本番となる。
この年の大賞ノミネート曲は「シンクロニシティ」。
楽曲では、人と人との、心のつながりが描かれる。
このメンバーでは、最後のレコード大賞。
生田さんは、ミュージカルの稽古が続く、
多忙な日々を送っていた。
本番の何時間も前から、おもむろに自主練は始まる。
本番直前。
皆が集まった。
誰かのことを思い浮かべ
遠くの幸せ願うシンクロニシティ
だから一人では一人では負けそうな
突然やって来る悲しみさえ
一緒に泣く誰かがいて
乗り越えられるんだ
10分後
シンクロニシティ
「synchronicity」
共時性、共鳴現象。
人は、集合的無意識でつながっているとも言われている。
だれもが、大切な人を思い浮かべ、平静でいられなくなった。
時には、
自分の歩む道が正しいのか、わからなくなるときもある。
日本レコード大賞
2年連続大賞受賞
2018年12月31日
その時は、刻一刻と近づいていた。
深夜12時で、西野さんのグループ活動は終了となる。
このまま、別の歌番組に出演する。
西野さんのポジションを
真夏さんが務めることに。
深夜12時すぎ
勿論、年越しはみんなで過ごした。
乃木坂46 西野七瀬、グループ活動終了。
喜びも悲しみも
すべて決まっているのだろうか。
2019年
たくさんの少女たちの人生を変えてきた。
飛鳥さんは、13歳のとき、1期生メンバーとなった。
7年もあれば、人は変わる。
今では、20歳。
その人の、生まれ育った街へ行った。
地元が苦手だという。
しかし、地元の成人式に出たいと
言ったのは飛鳥さん自身だった。
成人式会場では、パニック状態を回避するため
一般とは異なる特別な席が、用意されていた。
帰り、外の様子を見たいと飛鳥さんは言った。
しかし、騒ぎになる恐れがあるため
車窓からこっそり眺めることに。
地元の知り合いは、ほとんどいないという。
それでも
誰かを探していた。
その日は、曇りひとつ無い晴天。
散歩を提案。
誰もいない川べりを選んだ。
久々に会ったお父さんは、
「また背伸びたんじゃないか?」と何度も言い、
お母さんは、嬉しそうにずっと笑っていた。
ふるさとの空気を吸ったのは
3年ぶりのことだという。
その夜、飛鳥さんは、
中学の同窓会に出席するという。
同窓会を経験してみたいとのこと。
本人曰く、「ただただ好奇心」。
直前、飛鳥さんは怖気づいていた。
学校は苦手だった。
一人でいることも多かったが
「孤独も嫌ではなかった」と飛鳥さんは話す。
忘れていた過去が、追ってきた。
逃げた相手には、何と言えばいいのだろう。
サヨナラしたはずの場所だった。
興味本位で参加した同窓会は、
かつての自分と、向き合う儀式となった。
苦手だった地元と
少しは、仲直りできたのだろうか。
無理強いを何度も謝った後、
かつての体育教師は
「ありがとな、飛鳥」と言った。
2019年2月
乃木坂46は、年に一度、
グループの誕生日を祝うバースデーライブを行う。
乃木坂46の中でも、最も大規模なライブだった。
4日間に渡り、これまでのリリース楽曲を全曲披露する。
その数、170曲以上。
すべての動きを、頭と身体に叩き込まなければならない。
乃木坂46史上、
最も披露曲が多く、ライブ日数が長く、
最も参加メンバーが多いライブとなった。
大阪
京セラドーム
7th Year Birthday Live
本番当日
7th Year Birthday Live
DAY1
東京
その日、生田さんは舞台のリハーサルの最中だった。
バースデーライブの1日目には参加できず、
出演は2日目からとなる。
舞台のリハーサルが終わるや否や、大阪へ駆けつける。
その冬、生田さんは2つの舞台に取り組んでいた。
バースデーライブは、総力戦だった。
理想と現実のはざまで
体力の限界が、立ちはだかる。
大きな夢は、極限を要求する。
一路、みんなの元へ。
7th Year Birthday Live
DAY2
7th Year Birthday Live
DAY3
一方、4期生は
だれもが、自己紹介すらままならない
悔しさでいっぱいだった。
人を喜ばせるために、何をすべきか。
アイドルは模索する。
バースデーライブの期間中、
4期生は緊張しっぱなしだった。
その先輩は、手を差し伸べずにはいられなかった。
自己紹介コーナーでは、4期生は健闘した。
度々、4期生を気にかけていた
1期生の衛藤さんは
その1ヶ月後、グループを卒業した。
そして生まれる、
新しい息吹
最終日の4日目は、
西野さんの卒業コンサートに設定されていた。
7th Year Birthday Live
DAY4
当たり前の光景が、そうではなくなる。
時代は変わる。ステージは続く。
「心のモノローグ」は、白石さんと西野さんの
最初で最後の、デュエット曲だった。
ふたりの7年は、どんな長さだったのだろう。
全ては偶然であり、
必然であり、
運命だった。
運命は人を集め、
より、大きなものを産んでゆく。
そして、ライブはフィナーレへ。
福岡
2019春
23rdシングル選抜発表。
涙の意味は分からなかったが
Happyという歌詞に合わせ、笑顔で踊り続けていた。
飛鳥さんが、エディンバラに旅行をするという。
スコットランド エディンバラ
Scotland Edinburgh
最後の撮影として、旅行に同行させてもらうことができた。
観光だけ撮って映画になるのかと、心配されてしまった。
グループに入り、怖いものが生まれたという。
大事なもので、あればあるほど
失うことを想像していた。
その分、心の予防線を張っているようにも思えた。
飛鳥さんには
どこか、すべてを受け入れているようなところもあった。
それは
運命との、つきあい方のひとつなのかもしれない。
撮影終了の時は、間近だった。
だれもが、変えがたい何かを抱いて生きてゆく。
撮影の終わりに、そばにあった花を渡した。
撮影終了。
すべてが、もっと上手くできたらと願う。
こわがりで、優しい、その人の行く末に
グループの未来に
幸あれと、心から願った。
いつのまにか、ここにいる。
Documentary of Nogizaka46
映像中の文面を書き出してみました。
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