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『ぼくが生きてる、ふたつの世界』鑑賞感想と、いつかの原作感想。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』鑑賞感想
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を観てきました。
バリアフリー字幕版で観たのですが、会話文以外にも、生活音がある場面や音がない場面も表示がされていて、より没入感が得られたので、とても良かったです。
本作は、五十嵐大の実話をもとにした映画なのですが、コーダを演じた吉沢亮さん、母明子を演じた忍足亜希子さん、父陽介を演じた今井彰人さんをはじめとする五十嵐家の在り方がとてもリアルかつ自然で…すぐそこにいるかのような存在感でした。
原作を読んだ当時は、周囲の目を気にして母にひどいことを言ってしまう大の気持ちと葛藤が胸に痛くて、勝手に「君が悪い子じゃないって知ってるよ、でも世界はそこだけじゃないんだよ」と声を掛けてあげたくなりましたが、映画版で母明子の大きな愛をも目の当たりにして、それでも子を信じて赦す姿に、泣きました。そして大の背中を叩いてやりたくなりました。
本作は、"コーダ"の話、"ろう者"の話とカテゴライズするのではなく、"五十嵐家の話"、または普遍的な家族の葛藤と愛情を示した話なのだと感じました。
ただ、その中で、関係性が近い地域での同調圧力や、"普通でありたい"と思う少年の葛藤、それを目の当たりにする両親の困惑と哀しみはいかばかりであったか、と思うと、言葉にならない思いが渦巻きます。
耳を悪くしてから、色々な音が一緒くたにする映画館は少し苦手になっていたけれど、本作は劇伴をつけないなど細部に配慮がなされていて、音楽での増減がない分、集中して見られたのも、良かったと思います。
また、最後だけ主題歌がつけられて、それがアコースティックギターと優しい歌声の英語歌詞、日本語字幕つきであったのも、その内容も、とても粋でした。
本当に、観られて良かった。
本作を映画の形にしてくださった関係者の皆様に、心よりお礼とお祝いを申し上げたいと思います。
蛇足ですが、パンフレット買えるなら、ぜひ買って欲しい。
関係者の想いも胸に来ますが、何より完成版台本が掲載されています。
本当に隅々まで配慮がされていて、嬉しくなりました。
蛇足:いつかの原作版読了感想(『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(五十嵐大•著)) ※ネタバレあり
※2023年3月26日単行本版読了感想
耳の聴こえない両親から生まれた、耳の聴こえるCODA(Children of Deaf Adults)の"ぼく"。
聴こえるのが「ふつう」の社会と、聴こえない「ふつうでない」両親との間で、苦悩し、忌避し、孤立していく"ぼく"が、いかに自分を肯定し立ち直れたかというドキュメンタリー。
序盤から中盤までは、"ぼく"の悩み苦しむ姿がとにかく哀しい。
特に、自分でもひどいことをしていると理解しながら、先天的に聴こえない母を避けてしまう、それでも手話を覚えて母と会話する…
愛憎どちらにも触れる姿は、読んでいて居た堪れない気持ちになる。
同時に、"ぼく"の育った家庭環境や、人との関わりが密接になる地方での同調圧力を考えると、よく頑張ったね、苦しかったね…と声をかけてあげたくなった。
後半で東京に出て、ようやく"ぼく"は同じようにCODAとして生きてきた仲間を見つけ、今までの自分と母の姿を肯定的に捉えられるようになっていく。
同時に、母への贖罪の念と感謝と共に、ようやく「ごめんなさい」と伝えられるようになる。
"ぼく"の母に対する態度は、確かにひどいかもしれない。もっと他にやりようがあったのかもしれない。
けれども、彼が強いられていたことは、例えるなら小学校で習った英語だけを武器に、英語が全く喋れない人の通訳を外国で、かつボランティアでするようなものだろうと思う。
まして、耳が聴こえない場合、危険に気付くタイミングが遅れる可能性もある。
その神経のすり減らしようは、想像するだけでも大変なことだと思う。
だから私は、つらい中よく頑張ってくれた、と難聴者の立場から声をかけてあげたい。
そして本書をきっかけに、CODAや、ろう、難聴者のことが広く知られていくといいな、と思った。