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妊活7年目にしてステップアップを決めた理由①

なるべく自然な方法での妊娠を望んでいた私が、どのようにしてステップアップを決意したか。

結論から言うと、それは年齢の壁でした。

不妊治療を始めた当初は、前回お話しした理由からステップアップは考えていませんでした。

でも3回実施した段階でタイミング法に難しさを感じてしまい、体調不良になっていたことも重なり、一旦クリニックをお休みすることにしました。

タイミング法は、不妊治療の中でも比較的簡単な治療法に思えます。
しかし、その後、人工授精、体外受精とステップアップした私としては、夫のメンタル面を考慮すると、難易度が高い方法でした。

排卵直前まで何度かクリニックに足を運び、卵胞の大きさを見てもらい、卵胞を育てるための注射を打って、ちょうど良いタイミングで「この日にタイミングを取ってください」と医師から指示があります。

夫に「この日にタイミングを取るように言われた!」と伝えると、プレッシャーを感じてしまい、思うようにタイミングが取れなくなるのです。

治療を行うまでこんなことはなかったのになぜ?と妻からするといろいろとショックでダメージを受けていました。

不妊治療は女性の体や心に負担がかかるものだと認識していましたが、男性のメンタルにも大きな影響があることを知りました。

後で知ったことですが、思うようにタイミングがとれない場合等の救世主、「シリンジ法」という方法があります。
当時はこの方法があることを知らず、クリニックをお休みすることにしましたが、シリンジ法で解決できる場合もあるため、同じような悩みを抱えている方は検討してみるのも良いかもしれません。

少し話がそれましたが、クリニックを一旦お休みしてから、どんどんクリニックから足が遠のいてしまっていました。
(どこかのタイミングで書きたいのですが、「考えないようにしたらできる」&「諦めたらできる」説の検証をこの頃始めました。)

翌年はコロナ禍の自粛生活などが少しずつ緩和され、趣味でやっていた歌活動を再開し、そちらに打ち込んでしまう1年を過ごしました。
この頃には、妊活に対する執着は完全に消えていました。

さらに翌年の3月、夫の福岡転勤が決まり、慌ただしい日々を送りながら、4月中旬に福岡へ引っ越してきました。

34年間東京から外へ出たことがなかった私にとっては、海外留学するような感覚でした。

もともと行動範囲がとても狭く、生まれ育った東京から出たくないと思っていた私でしたが、コロナ禍を経て人生観が変わったのか、「夫と一緒なら知らない世界を見てみたい」と思うようになっていました。

友人たちに福岡へ引っ越すことを告げると、「福岡は良いところだよ〜」「福岡で良かったね〜」とみんな口を揃えて言ってきました。

恥ずかしながら34年間九州へ来たことがなかったので、どんなところか全く分かっていませんでした。
福岡といえば、毎年テレビで見る北九州の成人式のイメージが強く、むしろ勝手に怖いイメージを持っていました。

いざ引っ越してきて、本当に良いところだということが分かりました。
飲食店はどこに入ってもほぼ外れがなく、お店の人が親切丁寧。
街がコンパクトで行動範囲が狭い私にちょうど良い。
車の運転が丁寧(私の住んでるエリアだけかもしれませんが)。

都会と自然が調和していて、東京より全然住みやすいのでは?と思うくらい私には暮らしやすい環境でした。

でも福岡には友達や知り合いがいません。
さあどうしよう。
仕事を再開するべきか否か。

そんな時、前職の会社から再就職の案内がありました。
福岡にいることは伝えていなかったので、東京での採用のお話でした。

物理的に無理なので、丁重にお断りしました。
すると、福岡で求人が出たら声を掛けてくれると言ってくれたのです。

そこで、改めて働くことについて考えてみることに。
私はなぜあの会社を辞めたのか・・・。

・・・そう、妊活のためだったじゃないか!

少しでもストレスを減らして、妊活に励むために仕事を捨てたのに、また同じことを繰り返そうとしていました。

そして思い出したのです。
不妊治療のことを。

気付けばもう30代半ばになっていました。
妊活のことを考えないように、執着しないようにしていたら、ただただ歳をとっただけだったのです。

そこで、再び天秤にかけてみることに。
福岡で新たに仕事を始めて、知り合いの輪を広げてから妊活をするのか、それともすぐに不妊治療を再開して専念するのか。

仕事をはじめたら、すぐに不妊治療は難しいでしょうし、しっかりと人間関係を構築しないと、理解のある会社だとしても、好き勝手に休みを取ることなんてできない。

でももう34歳。子どもを望むなら、長い時間を人間関係の構築に割いている場合ではないのです。
でも一つネックがあることを思い出します。

夫のプレッシャー問題。

不妊治療を再開するとまたあの問題が出てくる。
でもあれからの数年で、夫の扱い方も少しは上手くなっているはず。

というわけで、新たな地で不妊治療を再開することを決意しました。
ただし、今回は高度生殖補助医療は行っていない、レディースクリニックに通うことにしました。

なぜかというと、東京で通っていたのは、ART治療をメインとしているような大きめな不妊治療専門のクリニックでした。
毎回異なるドクターとやりとりをし、都度ステップアップを急かされていたので、急かされる感じがその頃の私には合わなかったからです。

今考えれば早くステップアップしておけば良かったのかもと思いますが、当時はステップアップに前向きではなかったので、はっきりとした原因もわからないのに急かされるということがストレスでした。

というわけで、福岡へ来て2ヶ月半経った頃から、レディースクリニックへ通い始めました。
土地勘も全く無いし、どこのクリニックが良いかもよく分からない。

医療技術は日進月歩。なので、ドクターの腕は未知数だけど、最新の情報がアップデートされていそうで、設備は整っているであろう開院したばかりのクリニックに行くことに決めました。

東京での検査結果と治療経過を提出し、ドクターと今後の治療方針についてお話ししました。

今振り返ると、頼りなさを感じるところが多々あったドクターでしたが、初診時のドクターの言葉が、後の私を救ってくれました。

なるべく自然な方法にこだわっていた私に対して、「気持ちは変わるものです。変わって良いです。治療していく中で、やっぱりステップアップしたいと思った時は、遠慮なく教えてください。またその時一緒に考えましょう。」

その時々どう感じているか、どうしたいか、誰にも相談できなくて苦しかったことを相談することができる環境ができて、少し前向きな気持ちになりました。

検査は前クリニックのものでOKだったので、再検査が必要そうな項目だけ検査をしつつ、早速タイミング法の周期に入ることになり、次回の予約をして初診を終えました。

新たなる地で妊活頑張るぞ!と少しウキウキしながら帰りました。

その日の夜、義父が他界したのです。
そこから半年程クリニックに行けず、年末に通院を再開しました。

気がつけば、あと少しで35歳というところまで来ていました。
不妊治療をしている方なら、誰もが知っているであろう35歳の壁が迫っていました。
時間とは残酷なものです。

次回に続きます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。



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ころまる
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