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ビンボー、ビンボー、どビンボー!
前回は、ズボラな私について書きました。
今回は、わたしが昔どれほど「ビンボー」だったかについて記そうと思います。
私がどれほどのビンボーであったかを語るには、2年前に亡くなった父のことを書かなければなりません。父といっても、親が離婚したのでかれこれ30年会っておらず、結局、会わないまま亡くなりました。
ビンボーだった幼少時代
その人は、「父」と呼びたくなくなるくらいひどい人でした。家庭内暴力、借金、女性問題もありましたし、定職にもついていませんでした。親からも勘当されていましたし、とにかく私は一刻も早く家を出たかった。母は自分が稼いだ月10万の給料で私を育てました。当時、私は常にお腹が減っていて、がりがりでした。ね、ほんとにビンボーでしょ?
離婚後も、母は父の借金の返済のために苦しんでいました。車好きの父は高級車が大好物でした。脅されて、母が保証人になっていました。結局、裁判で負けて母が完済しました。
いや~、本当に学びの多い家でした。住んでいた当時は地獄でしたし、二度とあんな思いはしたくないけど、人生の勉強にはなりましたね。この親を反面教師に私はたくさんのことを学びました。
父は金持ちの息子に生まれ育って、そこそこ頭が良かった(学校の勉強、という点で)ために、世間知らずの母は騙されてしまったんだのだと思います。母には申し訳ないけど、「私はそんな男には騙されないぞ!」と思って生きるようになりましたし、「将来のパートナーはまじめな人が一番」と強く思うようになりました。
人生の転機~ある一家&株との出会い~
そんなクソ親父のもとで最悪な幼少時代を過ごした私ですが、人生は不思議ですね。最悪なことばかりではありませんでした。そのひとつが、かかりつけの病院の町医者一家との出会いです。
そんな環境で育った私は頻繁に体調を崩していました。そんな私をかかりつけのお医者さん一家がとてもかわいがってくれたのです。(たぶん、どこからか我が家の噂を聞いて不憫に思ったんだと思うけど)。
いつも病院の受付にいたお医者さんの奥さんは、とても教育熱心でした(ふたりの子どももはのちに東大と早稲田大に進学)。そんな奥さんが私の面倒を見てくれるようになり、頻繁に病院併設のお家の方に遊びに行くようになりました。
そこでいつも流れていたのが、株価のラジオ放送でした。私の株との出会いはまさにその時です。はじめその放送を聞いたときは「なんなんだこれは?」と。意味が分かりませんでした。その奥さんはのちに、「息子の東大の入学金は株で作った」と教えてくれました。「へぇ~、株ってすごいな~」と思いましたよね。
その医者一家との出会いは、この「最悪な環境」から抜け出すには勉強するしかないということにも気づかせてくれました。その後、私は奨学金をもらいながら、高校と大学を卒業しました。奨学金の完済までは、なんと、20年以上かかりました。(お金、借りすぎ・・・)奨学金は、結局いまの夫(父と違ってまじめな素敵な人です)が払ってくれました。借金のあるこんな私と結婚してくれて、しかも返済もしてくれて、ありがたいことです。
さて。「父」に関しては言いたいことはクソほどありますが、それはまたの機会に。今回は、私がどれほどビンボーだったのか、ということと、株との出会いについて書きました。
やだわ。あまり暗いnoteにしたくないのだけど。内容が内容だけに暗くなってしまいました。失礼!まあ、人生は不思議な出会いで成り立っているなあということです。
今日はこのあたりで、またね!