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チュルと最後の日のこと。
こんな日がいつかは来るんだろうな…と思っていた。5年前くらいから少しずつ僕らの中でのチュルとの時間の大切さが増して来ていた。でもコレは僕の勝手な考えで、実際にはウチの奥さんは僕の不在の時もずっと一緒にチュルと過ごしていたから、正確に言えば、5年前にやっと僕がチュルとの時間の重要性に気がついた、というところ。
昨年の正月に老齢による免疫力の低下か、皮膚に湿疹ができて、毛をかきむしってはハゲちょびんになっているのを見かねて、奥さんがチュルの食事を手作りし始めた。チュルが最後まで何の病気もなく過ごせたのは、まさにこの手作りごはんのおかげであると確信している。
今年の正月にはほとんど目も見えなくなって、壁にゴンゴンとアタマをぶつけては、呆けの影響もあってか徘徊を続けた。
でも、僕ら2人にぴったりとくっついて眠るチュルの寝顔はまるで子犬で、この寝顔を見てしまうと、どんな粗相もイタズラも許せてしまうんだ。
そんな今年の初めに僕は一つの覚悟を決めた。チュルとの時間に後悔がないようにしよう…と。
それまでの間にはたくさんの後悔があった。
もっと一緒に散歩したり、海も見せてあげたかったし、ほかのビーグルと会わせてもあげたかった。
だから、今年こそは…と、チュルに無理がかからない範囲で毎朝必ずハグしてから出かけた。少しでもチュルとの触れ合いを増やすようにした。
この暑い夏もチュルは難なく乗り越え、僕の中ではチュルが主役の戌年を迎えられると思っていたんだけどな…。
あれから一ヶ月がたった今でも、11月12日の朝の日差しや、冷たい風、チュルを抱いた感覚、歩いた風景をしっかりと思い出せる。
あのビロードみたいな垂れ耳の感触や、老衰でだいぶ軽くなった体重、そしてチュルの匂い。あの日は本当に天気が良くて日差しが僕らを包んでくれていた。
季節を大きく外れた紫陽花と一緒に撮った写真の中のチュルは、実際には目はもう見えていないんだろうけれど、その紫陽花を楽しんでいるみたいに見えた。
もうじき雪がふるんだろうか…温かい日差しにひんやり冷たい風が心地よい。
そう言えば、チュルは暖かいところと冷たいところの境目が好きだったな…ココらへんは飼い主に実によく似ている…
この日、チュルはもう自分の力で立つことは出来なくなっていた。僕らがチュルを抱き起こすと、震える足でトコトコと歩き出す。足が滑って転ぶとそのままそこでペタンと動かなくなる…そんなコトの繰り返しだった。
その後、チュルは炬燵の縁で眠ってた。目が覚めるとごはんをペーストにして注射器で口の中に入れてあげたけど、もう食べなかったな…
15時20分頃、チュルにお水を飲ませようと奥さんが抱きかかえた時、奥さんに全体重を預けたチュルはもう最後の時をわかっていたのかもしれない。
チュルの重さを感じているウチの奥さんが、「ああ、もうあれかな…」と震えながら漏らした声が忘れられない。僕もすぐにそばに行ってチュルを撫でた。
あのビロードみたいな耳や、額から背中お尻にかけて、チュルがいつも気持ち良さそうにしてくれていたところを、いつもと同じ強さで撫でる。
最後の最後に、まさに息を引き取るとはよく言ったもので、ちょっと苦しそうな声を上げて、それからすぅっと息をしなくなった。
午後3時30分だった。
これがチュルの最後の時。
ずっと二人で抱いていたかったけれど、チュルをそっと僕らのそばに横たえた。
それからしばらくの間、僕らはアタマとココロが分離したりしなかったり、不安定な時間を過ごした。
チュルの遺体はまるで熟睡しているみたいで、いつもの寝顔と変わらなかった。
でもだんだんと冷たくなっていくカラダ…。見ているだけの時は、死んでるとわかっていても、お腹のあたりを少しでも動いちゃいないかと凝視する。
チュルと僕らは夫婦は1匹と2人で17年間バランスを取って来た家族だから、その中の一つの存在が消えてしまったんだか、ぼんやり見えているんだか…、そりゃ当然不安定になる。
この週、僕はとても忙しかった。
水曜日から金曜日まで東京出張で、その週末は東京で一族勢揃いで父の喜寿のお祝いをする予定だった。
月曜日あたりからチュルの食欲が落ちていて、火曜日には固形はほとんど食べない状況。水曜日の朝東京に向かう時、僕はチュルを抱いて「行って来るよ。ちゃんとごはんの食べて元気になるんだよ」と行って出かけた。
これが最後のハグにならないようにと願って…
水曜日の夜に出張先から家に電話すると「まだご飯を食べていない…」との事。こりゃ本当にヤバいな…と思いながらも、それを認めないもう1人の自分がいた。
金曜日の夜に家に帰るとチュルはよく眠っていた。翌日からの実家行きは申し訳ないけれどキャンセルさせてもらった。
キャンセルした事がチュルとの別れを認めているようで、既になんだか悲しかった。
土曜日はチュルと奥さんと3人でゴロゴロした。いつ最後の時がきてもおかしくない状況なのに、チュルは震える足で立ち上がって家の中を徘徊した。こんなに動いてお腹がすかないものなのか?木曜日に奥さんが動物病院に連れて行った時に測ったチュルの体重は6kgしかなかったという…
夜もいつも通り同じ布団に寄り添って寝た。寝顔は子供の時のまま…だけど、壁にあたりながら歩くことで口の周りの毛がハゲているのが痛々しい。
11月の夜の布団の中でチュルのカラダはとても暖かい。いままで17年間、ずっとこうやって布団の中で暖を取ってきたんだもんな…
そしていよいよ最後の日を迎えた。
実家では僕らの代わりに、高山真工藝さんのチュルそっくりの人形を抱いた、母が作った僕と奥さんの人形を父の喜寿のお祝い日帰り旅に連れて行ってくれたようだ。僕らの身代わりがそこにいる写真を、旅先からメールで送って来てくれた。
「こっちはこっちでお前らとも一緒にいるから、最後までチュルと一緒に居てやりなさい」
今年いちばんシビれたメッセージの一つだ。
チュルの遺体の火葬は火曜日の午前中に決まった。
それまでの2晩はチュルの遺体と一緒にいた。僕は仕事にでてしまうからまだよいが、奥さんには相当ツラかったようだ。
夜寝る時にコタツの布団が膨らんでいるのを見て、奥さんが泣いた。確かにそこにチュルが寝ているみたいだった。
翌朝、コタツに入る時に足にあたるものがあって、ヤバっ!と思ってとっさに「ゴメンっ」と言った。我に帰ると涙が出た。僕が蹴ったのはチュルじゃなくて湯たんぽだった…。
月曜日に僕が仕事に行っている間、奥さんは花を買ってきてチュルの入った棺の中に献花してくれたり、ゲージを片付けたりしてくれていた。一つの作業の度にチュルとの思い出に触れる事になるからコレは相当ツラかったと思う。
本当に良くやってくれた。
奥さんの気持ちが少し落ち着いた頃になって突然の来客があった。
飛騨古川で花屋さんを営んでいる僕の友人夫婦が、僕のFacebookでの投稿を見て花を持ってお悔やみに来てくれた。後で奥さんから電話で報告を受けた時、本当にありがたく、嬉しかった。
その後も奥さんのSNSビーグル仲間からお花が届いた。会ったこともないけど、ビーグルを飼っている事でつながっている仲間たち。人の思いが遠くから飛んで来るなんて、本当にスゴイ事だ。
おかげでチュルの祭壇はたくさんの花と香りに包まれた立派なものになった。
火曜日。火葬場に行く道中で、助手席で奥さんが抱いているチュルの棺に、前の晩に書いたチュルへの手紙が入っていない事に気付いて急遽家に引き返した。
引き返している時に、こんな考えが頭を巡った。「この忘れ物にはなんか意味があるんだろうな…」と。
そんな風に考えてみるといろんなアイデアが出てくる。
「そうだせっかく家に戻るなら、今度はチュルの散歩コースをパスしていこう!」
手紙を棺に入れると「よし、最後の散歩にいくぞ」とチュルに話しかけて家の裏道を車で走った。相変わらずチュルは寝ているみたいに見えるけれど、車内から見る散歩コースには確かに尻尾を振り大きな耳で風を切りながらながら11月の風に舞う落ち葉を追いかけているチュルがいるように見えた。
すると、ウチの奥さんからもアイデアが。
「動物病院の前も通っていこうか!」
「うん、それがいい。もし先生がみえたらお礼もちゃんと言おう」
動物病院に着いて先生を呼ぶと、わざわざ出て来てくれて、チュルを撫でてくれた。
ずっとチュルの主治医でいてくれて、ずっと見ていてくれてありがとうございます。
「コレでやれることはやったよな…」と夫婦で確認しながら車を再び走らせた。
火葬場では若い担当者がチュルをとても丁寧に火葬してくれた。チュルは本当に病気一つしなかったようで、火葬された骨はかなりしっかりしたものだった。
チュルの肉体がなくなってしまうと、僕たちの心はいくぶん楽になった。
お骨の説明を丁寧にしてもらって、チュルが自然死だった事に安心したからかもしれない…
そのお骨の一部をいちばん小さな骨壺に入れてもらって帰る事にした。
僕ら夫婦が飛騨で暮らして18年。そのほとんどを1匹と2人で暮らしてきた家に、今は飛騨に来たばかりの頃と同じ僕ら夫婦の2人だけ。
でも、そこにはまだチュルのぬくもりが残っていた。お骨を祭壇に戻して線香をあげると、チュルの匂いがした。僕らが心配で戻って来たか?
聞くところによると、チュルの魂は、亡くなったと同時にすぐにあの世に飛んで行ったらしい。
犬は人間ほどカラダに執着がないからすぐに成仏するみたいだ。そういう事を見る事ができる方の話では、チュルは既に若い頃に戻って、尻尾をブンブン振って耳をパタパタと風を切りながら走り回っているらしい。
こういうのを聞くと凄く嬉しい。その反面、わかっちゃいるけど、そうそう割り切れないのがペットロスな僕ら。
でもチュルがどこかで見ているんだ…と思うと恥ずかしい事は出来ないな…というのが新たなモチベーションになっていたりする。
ただ、これからしばらくの間、日々の生活のさまざまなシーンで、たくさんのフラッシュバックに泣かされるんだろうな。
チュルが亡くなってから2週間後の日曜日に、チュルのお骨をよく散歩したコースを見渡せる家の庭の柿の木の下に埋葬した。この柿の木、今年初めて実をつけた。来年から柿を見る度にチュルを思い出す事ができる。
あれから1カ月が経って、今でももちろんチュルのフラッシュバックや、Facebookの過去の投稿にチュルが出てくる度に、ココロが一瞬動きを止めることがあるけれど、新婚の時と同じ夫婦2人の時間を僕らの新たなステージと捉えて、2人で支えあって暮らしている。
今の僕らの大きな支えは、いくつかの奇跡を目の当たりにして、それら全てに感謝している事。
チュルと出会えた奇跡。
チュルが病気もなく自然死で安らかに旅立った奇跡。
そして何より、最後に家族全員で過ごし、看取る事が出来た奇跡。
こんなことは実に稀です。
年の瀬に一つの区切りをつけるために、記事をこのnoteに残す事にしました。
今日の飛騨古川は雪。チュルの散歩コースも新雪で真っ白です。若い頃のチュルはこんな時、鼻の頭に雪をつけながらぐんぐんと新雪をラッセルしながら散歩を楽しんでいました。
きっと、今日も天国でそうしているに違いありません。
チュル、たくさんたくさん、ありがとう。またな…
最後に、これまでチュルを愛し支えてくれた全て方に心からお礼申しあげます。本当にありがとうございました。また長い文章に最後まだおつきあいいただいた皆様、ありがとうございました。