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0と100の間には1から99がある

「あなたはいつも0か100で考えている」

妻と話していた時に言われた言葉だ。どうも僕は考え方が極端らしい。

これさえ出来れば大丈夫だ、あれが出来ないと駄目だ。自分の中で勝手に答えを決めつけて、それが出来ないともう何もかもが終わってしまった、これでは生きていけない、うー……となる。

少し文字にしてみただけでも、我ながらなんて厄介で面倒臭い考え方をしているんだと思った。

これはきっと昔からなんだと思う。覚えているのは高校受験。中学生の頃、要領よく並程度の成績をとっていた僕は先生方からも「お前はまぁ大丈夫だろう」と言われていた。その言葉を鵜呑みにした僕は受験勉強をほとんどしなかった。今考えると本当にアホだと思う。

受験結果は当然の様に不合格。当たり前だろう。第一志望校に落ちた僕はそのまま第二志望だった高校に通うこととなった。

勉強をしなかった自分が悪いのに、第一志望校に入れなかったから自分はもうダメだと考えた。入りたくもなかった高校に通うのなんて嫌だ。意味がない。そして僕は腐った。これまで以上に勉強をしなくなったので、中学校の時は割と好きだった数学や英語もよく分からなくなっていった。部活にも入らなかったので、何かを成し遂げた様な実感は何もなかった。

ただ、高校の時に気の合う友達と出会えた。高校時代はその友達グループで遊んでばかりだった。学校の帰りにはいつも一緒に寄り道をして、休みになると誰かの家に泊まりに行ったりして意味など何も求めずにただ楽しんでいた。

それはきっと0でも100でもなく1から99の中のもの。

僕は志望校に入れれば何かが大丈夫だと思っていた。志望校に落ちたので何かが終わってもう駄目だと思い込んでいた。それは0か100のたった2つの考え方。

だけど0だと思っていたそこには1から99という沢山の数の可能性があった。何かが出来た訳ではない。ただ笑ってダラダラして遊んでいただけだった。でも黒か白じゃない間のグレーのグラデーションにこそ人生の豊かさはあるんじゃないだろうか。

僕は未だに0か100になってしまっている。これさえ出来れば大丈夫だ、あれが出来ないと駄目だ。でも気がつくべきだ。その間には1から99がある。こんなに沢山の可能性があるのに駄目な訳がない。

そうやって考えれば少し心が軽くなる。心が軽くなると見える景色が広がる。こんなにも進める方向が沢山あったのかと気がつく。そしたら後は少しの勇気を持って進むだけだ。

わお、noteに書き出していたら肩の力が抜けた。ジスイズセルフ自己啓発。すぐに考え方がガチガチになってしまう僕にはこれは良い方法かもしれない。よし。迷ったらnote。困ったらnote。苦しくなったらnote。noteがあれば大丈夫。

こうしてまた極端な考え方を手に入れた僕は句読点をタイプしこの文章を閉じる。

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