私が思う天才・秀才・凡才
へろー、アカウントです。
昨日はネタがあったから良かったけど、もう既にネタがない。 したがって、今後は自分語りというか、私が持っている考え方や自慢を垂れ流すことになると思う。初投稿でも書いた通り、 あくまで「そこそこの長文を書けるようになる」ことだし。できれば、苦痛に思うことなく書けるようになりたい。こういう時間から書き始めたらとっとと定時に行きたいし多少はね?
というわけで、どんどん書いていく。
何か一つずば抜けてできるのが天才
まずはこれ。私の中ではあくまで「何か一つずば抜けている」人が天才。「何でもできる人」は天才だと思ってない。それは秀才だ。
まあ、これは辞書にあることを自分なりに噛み砕いた感じ。
天才
先のように、天才は一つのことををずば抜けてできる人のことを指す。元から才能として持ち合わせて生まれたことを筆頭に、自分のやりたいことを極めた人である場合だったり、自分の得手・不得手を幼少の段階で見極められる人である印象。
秀才
秀才は何でもできる人。正確には「やったことあることはすべてできる」人だと思う。
こういう人は、苦手という意識はない。できないものがあったとき、やったことがないからできないだけで、やればできる。決して根性論とかではなく、独自で理論を築いているから、一回理解してしまえばできる。
「秀才」の注意点
ただし私の思う秀才には注意点があって、所謂「努力の天才」とは違う。努力の天才は、できるようになるまで努力するから、結果的にできるようになるのであって、「一回やればできる」訳ではない。私の指す秀才は、一回やれば何でもできるようになる人のことを指す。
ここは他の人と話すときに、前提が違って結構衝突する。
凡才
凡才は、天才でも秀才でもない人…というと説明がおざなりなので、少し補足する。
※注意 以下、気分を害する人がいるかもしれません。
凡才の大多数は「俺は何もできない…」と言う癖に何もやらない人や、「嫉妬する癖に努力しない人」「嫉妬する癖に努力の方向を間違える人」、「何もしていない癖に『俺はやってるのに…』という人」「何もできない上、役割を履き違えて意味不明な指摘をする人」が多い。
…上に挙げた例、結構クズだと思う。一つ言っておくと、世間一般の「何もできない人」は凡才ではない。やった結果、その分野で何もできないだけで、他のことができるかもしれない。諦めずに色々なことができる人は、それはそれで「努力の天才」だと思う。それで何かができればそれでいい。自分のやりたいことじゃないからやらないという人がいるけど、それはそれである意味天才ですわ。
では「本当になにもできない人」はどうか。これは「努力の方向が違う」であったり、「努力したと思っている」場合だ。
学校や会社にいません?「流石にこのくらいはできないと困るよ」というと、「自分なりに努力してます!」といって豹変する人。こういう人です。本当に努力しているか検証すると、マジでなんもやってないやつです。
ちなみに私が一番嫌いな凡才。
…クズの話に戻ると、センスがなくても「センスがないから努力しよう」となれば努力の天才になるわけだし、嫉妬心・反骨精神から頑張ることができればいいのに、「あいつ目立ってるから貶めよう」といった感情からトラブルを起こしたり、「自分の信念以外は認められない」「自分が正しい」という学がない・学ばない感じの人。
「その行動力は天才」って?それ皮肉ですよね?
…とまあ冗談はいいとして、私はあえてこういう人たちを「凡才」としている。
理由としては、そう思っていないと、相手を人と考えて接することができないから。換言すると、最低限のリスペクトを持って話せなくなるから。
もし相手が煽ってきて暴言を吐きたくなったり、あるいは殴りたくなっても「あっそういえばこいつ人じゃん。」と思い出すことができて、結構いい。
少し暗い私の闇の部分が出てしまった気がするが、まあいいでしょう。
ちなみに、「天才の中の天才」という言葉が私の中にある。これに当てはまった人は一人だけ。
明日はこの話を書いていこうと思う。結局一時間くらい書いてるから定時で楽しめないじゃん。
んじゃ。