結局、我々は雰囲気が重点らしい

へろー、アカウントです。
有馬買うんじゃなかったともう既に後悔しかけてる。調教見てもレース見ても展開が読めない。ディープボンドが勝ちゃそれでいいよもう


そんなことは置いといて、最近「雰囲気」という言葉で誤魔化されることが多かったのでストレス発散に書いておく。

私の置かれている環境は基本的に事実に重点を置く事が多いが、回避策は雰囲気である(誤魔化す)ことが多く、本質を突いた解決を臨む人は少ない。
更に「よく分からないがシステムが成り立っていればOK」という勢力が復活し、厄介な事が起きている。

ハードウェアでそれをすると不味いから、物理的にOK+不安を無くす為の雰囲気作りをしているが、ソフトは雰囲気で作れてしまう。そして成立してしまう。
しかしそれをすると後々アッパーを喰らうように困る。(前職はそれを拒んでやめた節がある)

その成立は後に変更があると脆い。「テストすればいい」と言うのは正しいが、虱潰しに全てテストできるわけではないし、最悪危険な現象が起こる。

ソフトやハードを開発・設計する者としての(日本での)最低限の目標は、現場猫が適当に使っても、正しく動き、壊れない(壊れても猫に影響が無い)ものでなければならない。難しいが一番良いのは「永く使え、開発・設計側も美しく対処できる」ことだ。

設計者と利用者で意図が噛み合わないことも、重大欠陥と捉えて良い。雰囲気が合ってていても微妙に「事実」が異なるのであればそれは何処かにバグが蔓延り、組織として危険な状態と思って良い。


どうせこれを見るのは物好きな方々なのだろうが、これだけ覚えていて欲しい。そして、話の流れが180°変わるのを許してほしい。

「人間を裏切るのはいつだって人間」である。

AIか今後裏切るとか言われているが、それは不十分なAIを作った人間がいたということであり、その人間が上げた成果が裏切りだったということに過ぎない。


そもそも技術というのは、いや知識や学問・理論を含めて、「人間と分離しない」ということが重要である。

理論を構築したのは人間だし、哲学としてナチュラルな捉え方をすると定義しているのも、所詮、ある人間の持つ脳内の考え(以下、思考)を、他が捉え、他が捉えた思考を基に他が意見を持ち、他とある人間が話し合いや或いは闘争によって構築しただけのエゴに近い。(哲学者がこれを指摘されると否定する事を承知の上で書いている。だが私は文明や対話によって得た知識なる物より、必要最小限(過不足ない)言語化された事実のみが我々を進化させると確信している。)

だからこそ我々は事実をそのまま捉えるべきだ。上手く捉えることでも警鐘することでもなく、恐れ慄き壁で庇って隠す事でもなく、まずはただ捉えるべきだ。


私はそれをやろうと思っていたが、また邪魔者が現れた。
だから私は、事実でなく雰囲気を文明とする浅学な方々を開発・設計から排除し、雰囲気から事実を捉え工程に反映できる者のみがプロセスに関わることができるよう、闘う。
仮に事実に向き合って無理だったとしても、最低限、回避をきちんと資料に纏めるだけの技量があるものを使えば良いと確信する。



いい時間だしストレス解消できた。
んじゃ、また。


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