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「障害があるから」で生まれる歪な関係

「多様な社会がいいよね」
そういう言葉や表現を、ここ数年で触れる機会が多くなりました。

「一人一人に合わせた生き方がいい」
でも、それを実現するのは決して楽ではありません。
赤字ばかりでは会社は潰れてしまうし、誰かの自由が他の誰かの負担になっているかもしれません。

今回は「障害当事者と社会が、お互いにどうコミュニケーションを取るのか」ということに焦点を当てて考えてみます。

実際に障害者福祉分野で起きている「ジレンマ」を、ご自身も障害当事者でありながら発信している、一般社団法人Plus-handicap (プラスハンディキャップ)代表の佐々木さんにイベント後のインタビューを行いました。

今回のインタビューは会報誌TUNEで載せきれなかったものを一部抜粋して載せていきます。

みんなちがってみんないい、んだっけ?
第1回  「障害があるから」で生まれる歪な関係
第2回  障害受容とコミュニケーション
第3回  技術の進歩と「障害」の変化
第4回  公平を目指せば、理解も受容もいらなくなるかもしれない

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公平性は「やってもらう」という一方方向ではない

名称未設定のデザイン

山田
今回の対談は、「障害を理解してほしい」と言いながら、障害ではなく「私個人」を理解してほしいという態度についての話から始まりました。

「○○障害ってこういう障害で、原因で、特性があるから困りごとあるということを理解しました」と理解されたいわけではない。そうではなく、「全人格的」に自分を理解してほしい。

「理解する」という言葉は同じでも、相手に期待する行動が全く異なります。例えば、働くことを例にすると、障害を理解してもらわなければいけない場面もありますよね?

佐々木
例えば障害の種類や程度によって、「そこまでできない(働けない)です」っていう人達も数多くいるわけです。だからその人たちの受け皿は作らなきゃいけないっていうのは事実としてある。

それは福祉就労という形なのか、例えば居場所みたいなものなのか、生活支援なのか。働けないということを前提とした上での支援なのか。これはもうなくなっちゃいけないものだし、これはその障害によってあるもの。

ただ、社会にうまく溶け込められるぐらいの種類の障害の人だったら、正直「健常者化」障害者より健常者に近い存在にならざるを得ない。それこそ、今の身体障害者って、かつてと比べればかなり暮らしやすい。

ほとんどの駅にエレベーターがあったり、駅員さんに言えばガイドしてくれたり。もちろん10、20分のロスが生まれるっていうのはあるにせよ、昔から比べたらだいぶ進歩している。じゃあ、この10分を5分にしてくださいっていうのはそりゃそうなんだけど、でも物理的に無理っていうのは絶対あるはずで。そこを求めるなら、何か応えなきゃいけないと思う。それが公平性じゃない?

山田
ギブアンドテイク的な考え方ですね。

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佐々木
これやってくれ、これやってくれ、これやってくれ…
でも、(自分は)動きません、みたいな。だったらさ、最初から言わんでええやんみたいな。

例えばウチで言うと、聴覚障害の人がイベントに来たいですって問い合わせが来たときに、UDトークとか用意しますよ、と返すんです。すると「いや、聞いてみただけです」と返ってくる。「聞いてみただけです」って何?俺試されてんの?って。気分悪いですよね。

山田
私も似たようなことがありました。
返信しても返事すらこなかったので準備が必要かわからずにいました。

佐々木
来ないなら言うなよって思いませんか。
例えば障害を理由に許されるけど、ビジネスマナー的には許されないみたいなものがあったときに、障害のない社会ってなれば、障害者だから許されるって言うのがなくなるわけですよ。それで「いやでも…」「ちょっと…」みたいなことを言うのであれば、それは違うでしょ。

結局、砂山の話と一緒で、求めるんだったら社会側や受け入れ側の論理もある程度組み込まなきゃいけないし、一般社会側が障害者側に歩み寄ろうとしているアプローチを取ろうとしているわけだから、やっぱりそこはお互い協力しあうべきだよね。ここは本当に「べき論」だと思う。

これって「こっちに(歩み寄って)来て来て来て来て、俺行かんけど」って感じと似ていて(笑)。これは相互理解じゃないし、単純な一方通行の愛を求めているだけ。そういう感じだから、そこは気持ち悪いって思う。


気持ちよいコミュニケーションの重要性

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山田
この話って障害のある人たちが社会に参加していくうえで、どんなスキルとか能力があればいいかみたいな話にも近いですかね。一般的にいうと、例えば高等教育で言われる21世紀型スキルとか。社会参画に当たり前に必要なことみたいなのを彼らも学んでいかなければならないフェーズにあるなと思っていて。

私たちはインクルーシブデザインという手段をあえて使っているけど、その時に彼らにリードユーザー(気づきを先導してくれる役割)として来てもらって、一緒にグループワークに入ってもらって活動します。

【インクルーシブデザイン】
障害のある人や高齢者、小さな子どもなど、これまでデザインのメインターゲットにされてこなかった人々を、積極的にデザインプロセスに巻き込む手法。この時にデザインプロセスに巻き込まれる人を気づきを先導してくれる人=リードユーザーと呼ぶ。

でもそれって、闇雲に障害があって、障害の条件さえ当てはまれば来てもらいたいわけではもちろんなくて、ある程度フィルタリングをかけるわけです。その一番の条件って、「気持ちよくコミュニケーションしてくれる人」なのかをまず見てる。この場を面白がってくれて、お互いに適度に気を使いあえて、友人とはいわないけど、親しみやすさがある人っていう人に優先的に声かけるんですよね。

そういう人達って、正直雇用される人のピラミッドでいうと上の人たちに限られるなと。インクルーシブデザインみたいなものが、社会的な価値として広がっていくためには、このリードユーザーを育てるっていう観点が大事だよねって研究とかで言っている人もいる。


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今回は「障害があることと社会のコミュニケーションについて」考えました。「障害がある」という事実ではなく、そこに紐づく意識がコミュニケーションの阻害になる。

一方的に何かを求めたり、それが当たり前だからと本心では嫌でも「受け入れなければいけない」と思い込んでしまう。歪なコミュニケーションが生まれてしまっている現状をどう変えていくのか。今後も考えていく必要がありそうです。

次回は「第2回  リードユーザーのコミュニケーション」です。

佐々木さん

佐々木一成(ささきかずなり)
1985年福岡県生まれ。生きづらさをテーマにしたwebマガジンPlus-handicap編集長。生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。障害があっても楽しく人生を送るひと・そうでないひとの違いや境目を研究中。

(聞き手:山田、文・写真・編集:栗野)

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【NPO法人Collableとは?】
「ために」から「ともに」へを合言葉に、障害のある人たちや多様な人との共創の場づくりを実現させるために活動するNPO法人です。
インクルーシブデザインの普及や、実践研究活動、その方法を活用した様々なプロジェクトを、おとなからこどもまで展開中。
Web: http://collable.org/
FB: https://www.facebook.com/collable/


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