18年と10日の旅めぐり
つい一昨日、海王星が順行に戻って、すっきりしたぁー!と喜んでいたのだったが、それももつかの間のこと。今度は、来年からの仕事をどうしようか・・・で悩んでいる。人を惑わせる幻想の海王星が、前を向いてくれたので、自分の将来も後腐れなくすっきり決断できる、と思っていたのだけれど。。
今やっている仕事のある一部が、私は好きではない。フリーランスで、ブロックごとにお仕事をいただくような感じなので、この好きくないブロックだけを返上することができる。それによって気持ちの軽さを取り戻し、もっと生産的に思えることに自分の関心を振り分けたいと思っている。でももし、このブロックが無くなると、他のブロックにまで影響が及んで、仕事がどんどん減ってしまわないか、あるいは、他の新しい仕事がいただけなくなって、社会から隔絶してしまうのではないかという不安がよぎる。
こういう不安は、フリーランスで仕事をしている人には、ありがちなことなのではないだろうか。ちょっとでもやる気がなさそうに見えたら、干されてしまうかもしれないという不安。それで、どんどん自分が、何をやりたいのかやりたくないのか、できないことの言い訳や逃げなのかなんなのかが分からなくなっていく。
仕事とは、そもそも他者のニーズに応えることで成り立っているので、自分の好みやアイディアがあってもそれが通用するとは限らず、まして相手がそれを求めていなければ人前に出すわけにはいかない。とくに、わたしのように、相手個人への最大限のカスタマイズの上に成り立つ仕事では、なおさらだ。社会の体制に適応しつつ、さらに相手の理解度や満足度が私の仕事の出来不出来の指標になる。こちらの話し方や説明の仕方ひとつで相手の心証が大きく変わり、それが自分の評価に跳ね返るので、自分が相手のご機嫌取りにばかり心を砕く。そして、自分の趣味嗜好も考えも、世話を焼いてやる余裕はないので、どこかの地下室で放っておかれるようになる、ように感じる。
それが、いやだ。
これは、私のわがままなのだろうか?とか、努力が足りないのだろうか?(それはまぁ実際足りてないんだけど)などと思い続けて2,3年が経っている。けど、もうそろそろ終わらせていいんじゃない?、いや、いいよね、と思い始めたころは、ビジョンを作る海王星がとっぷりとネイタル太陽を飲み込んでいた。それが、5月の終わりの頃。
そのまま、海王星がくれた夢見とともに、先に進んでいければよかったのだ。けれど海王星は、なにか臆病な猫にでもなったかのように、それまでの動きを止めて、じわじわ後ずさりを始めた。
惑いつつ、ぼんやりとした日々を過ごしたあとに、ようやく海王星は順行に戻ったわけだけれど、考えてみれば、海王星は逆行により私の太陽を飲み込む以前の場所にまで戻ってしまったのだ。それは再度、海王星が私の太陽を飲み込むところからやり直ししなければならないことを意味する。
何度も繰り返される、決められない日々。惑星は、同じところを何度も行ったり来たりしているから、いやが応も、ひとびとは慎重になり、行き場のない欲求を抱え、自分の本心が分からなくなっていく。
で、本日のタイトルの18年ってなんなのよ。と聞かれれば、それは惑う星に見切りをつけて、自分がどうしたいかの”意思”を打ちこむタイミングだと申せましょう。それは、太陽と月と地球が全く同じ場所に戻り日蝕になる間隔、サロス周期のことです。日蝕には潜在意識の蓋が開くので、そのタイミングで自分の意思のくさびを埋め込み、その後、どうなりたいかの方向性を設定することができるそうです。
自分の誕生日の直前の日蝕は、同じようにくさびを打ち込み、この世でどうしたいかを決めていたはず。それと、まったく同じ位置に天体が戻り、次の日蝕が起きる18年と10日後は、自分が生まれてきたときに打ち込んだ自分の意思を再設定するのに最適な日なのです。そしてそれは、その後も続き、18年ごとにまた同じ場所に戻り日蝕が起きる、その私の18年の切り替え時が、なんと2週間後に迫ってきておるんでした。
優柔不断で決められない私に、このサロス周期がどれだけ味方になってくれるか、いや、どうやってサロちゃんを味方に引き入れ、ともに楽しい旅路とするかが、これからの”意思”の見せ所というものなのです。