いつも「問い」の中にいる
タマリーの人
安部育実と矢内喜美子
タマリーに居るとその役割は似てるように見えるだろうが
私たちはそれぞれで違う役割を担っている
私はフレーム(外枠)を作るのが好き
場とか空気感とか
内にいる人と外にいる人の関係性づくりとか
知らない方の隣に前から居た?!って感じで
居座ることができる
そして、その方をその場に馴染ませることができる。
もちろん無理ない形でね。
その方が、クスっと笑う笑顔を見せた時
「よしっ!!」って思う。
私は、常に全体を見てる。
全体のバランスを見ている。
矢内喜美子。
きみちゃんは、その私が作り出すフレームの中にいる『人』
個人個人を見ている。そして、分析している。
そのフレームの中で小さな小さな光を灯しはじめた
自分自身を生きようとする人を見ている。
その人々を全力でサポートして輝かせることが
彼女の使命だと私は思う。
そして、その自分自身を生きだしている人の中に私もいる。
だから、矢内喜美子は私を通してタマリーを全力でサポートしている。
私は共感することは得意だけど
そこから自分はどうなんだい?を表現することを
あきらめたりする。
共感ってある意味、楽。
そこに自分を重ねて、自分の言葉にしなくていい。
そうそう。って頷きで済んだりする。
同じ想いの人がすでにそこに居て、
傷つくことはない。
安心感がある。
でも、共感の中にも違いはあったりする。
それなのにいいな。って思った人に
流され迷いだす私を見て
自分自身からほんの少し目を背けている私に
きみちゃんはちゃんと気付く。
そして、いつも問いと言葉が投げかけられる。
これが、私に日々投げかけられる言葉と問い。
自分でも気づいていることをズバリと言われるだけに
何も言えなくなるんだけど、全然嫌じゃない。
むしろありがたいし、愛を感じている。
そうだよねって感じで、私も向き合おうとする。
そうしないと変われないことは私自身がよく分かっているから。
私は優しすぎる。
らしい。
「その人にとってのどうしたほうがいい?」じゃなくて
その前に
「私にとって、タマリーとしてどうしたい?」が一番で
その次に「じゃーその中で、この人にとって最善は何だろう?」
っていう選択が必要なのに、そこが揺らいだする。
他人じゃなく自分を一番に考えていいのに。
これから、そんな選択をする機会はきっと、
もっともっと増えてくるだろう。
だから、自分が大事なんだ。
安部育実と矢内喜美子が居るタマリー。
2人居て、個々の軸がないと成り立たたないタマリー。
一緒のようでそれぞれ違う。
私たちはいつも互いの「問い」の中で成長しております。
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