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オースティン、テキサス──留年生の出稼ぎ日記〈サンタ・ムエルテ編〉
征服者の都市
メキシコシティにはとにかく数多くの文化が混合していて、それが一種のカオスを作り出している。──アステカ時代から続く先住民の、それを征服(コンキスタ)したスペイン人による植民時代の、そしてその二つの文化が融合した、混血(メスティーソ)による現代の文化。
例えば首相官邸のある中央広場、ソカロに目を向けてみる。現在のそれを、アステカ時代のソカロを3Dモデルで再現した(https://tenochtitlan.thomaskole.nl)画像と見比べてみると、とても面白い。
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かつてアステカの人々が宗教的権威をそこに感じ取った神殿を(水上都市であったテノチティトランそのものと一緒に!)地中に埋め立てて、そこにキリスト教会を建立する。征服者(コンキスタドール)による、布教とは名ばかりの信仰強制である。現在のソカロを見てみると、教会の真後ろに発掘調査中の神殿を認めることができるが、この跡地が「発見」されたのはわずか五〇年前の出来事であった。メキシコは、もはや立派なキリスト教国と化していたのだ。
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征服者に対する反骨として、その骸
そんなメキシコのキリスト教が、わずかにその地歩を揺らがされているのにおれが気がついたのは、今年の夏の、二度目のメキシコ滞在時のことだった。メルカドと呼ばれる露店市を回っていると、聖母マリアの絵画によくあるような長いローブを羽織った、しかしその布の下に覗く頭が骸骨になっているものをよく見かける。聖母マリアの絵画をパロディ化したようなものまであり、あきらかにキリスト教を揶揄しているような、そんな印象さえ受ける。
調べてみると、これはサンタ・ムエルテという民間信仰のようなのだが、どうやらメキシコの土着信仰である死への崇拝と、侵略者たちが持ち込んだキリスト教が融合して生まれたものらしい。ただしカトリック教会とは違って信者に道徳を求めないため、麻薬カルテルや貧民層に人気があり、メキシコシティ唯一の聖母教会もスラム街に位置している。
おれがこの宗教に惹かれたのは、征服されたネイティヴ・アメリカン──トラテロルコはエルナン・コルテスの手に落ちた、それは勝利でもなければ、敗北でもなく、メスティーソ国民の痛ましい誕生であった、それが今日のメキシコである(三文化広場の石碑より)──が、自分たちのアイデンティティをこの宗教に見出し、それをメスティーソ国民としてのナショナリズムに根差した民俗カトリック主義という形式で、征服者への反骨を示しているような気がしたからだ。事実、カトリック教会はサンタ・ムエルテを悪魔崇拝の異端だと認識し、その拡大に頭を悩ませている。
これは一度教会に行かなくてはならんだろう、ということで、スラム街にあるNational Churchまで足を運んだ。近づくにつれて、巨大なサンタ・ムエルテ像が見えてくる。
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痺れる。まるでコンキスタドールに滅ぼされたメソ・アメリカ国民が、そのアンチたる土着信仰として蘇り(死からの復活)、死を表象する骸骨が、反転して生を無条件に祝福してくれているようじゃないか……
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はっきり言って、教会の中は至極平凡なものであった。聖職者の寝床があるのか、二階の梯子からは洗濯物がぶら下げられ、祈りを捧げるためのガラスケースには露店市で売ってそうなサンタ・ムエルテ像があるだけだった。貧民のための宗教という側面があるため、こんなものなのだろう。いや、むしろ神性を装飾しない、あるべき宗教の姿がここにあるのか?……