頭でわかっていることと日常でそれができることは別
よかれと思って人に親切に丁寧に教えてあげることは時として大罪になることもある。
「時として」なので、状況や立場が変われば、常にではない。
本当に本人の成長を一番に考えるなら、答えは言わないこと。大事なことは気づかせること。
「どうすればいいんだろう?」「わからない」とモンモンと悩みもがいている人は、なんとかこの苦しい状況から脱したいと、あらゆる手段でいち早く悩みを解決しようとします。
その「あらゆる手段」の中で一番楽なのは、人に聞くこと。
裏を返せば、人に答えを聞いてはやく楽になりたい、ということ。
師匠や先輩方は、新人が苦しむ状況を一通り経験している。それを自分で克服・乗り越えたから、その結果が【今】。
【今】は過去の自分がつくりあげたもの。
負荷がかかった状況が大きいほど長いほど、その後の成長加速度がかわるんじゃないか。
↑…と、いうことは、頭ではわかってる。こうやって文章で書くこともできる。
でも、私はいつも失敗してしまう。なんでもやってあげたくなる。
目の前に苦しんでいる人がいて、私にとって大切な方で、その人の未来を本当に考えるなら、教えないことが一番その人のためになる。
わたしには、その人が成長するチャンスを奪う権利はない。
自分の知っていること、経験したこと、答え、やり方を全て教えてあげたくなってしまう。
それって、ただ自分が満足したいだけだったのかもしれない。
答えを知った目の前の人は「ありがとう」と言う。自分の頭で考えないで、人から答えを教えてもらえてよかったから「ありがとう」。
それで、本当にその人の力になったかな。
実力というのは、日常からすでににじみ出ている。
その場しのぎの「楽」をさせるのではなく、自分で考えて乗り越えないとあなたの力にならないよ、ということを私はもっともっと伝えないと。
結局、自分がよく見られたいという気持ちがまだまだ染み付いているんだ…とハッときづかされたな。
気づけたんだから、意識して日常を過ごそう!noteに書くことができるんだから、日常でもできるはず!
できないのは、忘れるから。
今回も、「私は人によく見られたい人間なんだ。自分が満足したい人間なんだ。」ということが、頭からすっぽり抜けてたよ…。何回繰り返すんだよ。
意識、意識、意識する!