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同じ話だっていいの
久しぶりに大伯母と電話で話した。わたしが贈ったお中元に対するお礼の電話を大伯母自身がかけてきてくれたのだ。
「お礼をお伝えするのをすっかり忘れていて、ごめんなさいね」
そう話しはじめた大伯母の口調は、いつもどおり上品でゆったりとしていた。ああ、この感じだ。
大伯母は、母方の祖母の姉である。わたしの祖母は6人姉妹の末っ子だから、5人の姉がいる。田舎の大きな農家の当主だった曾祖父は、どうしても男の子が欲しかったらしく、一人目の妻が亡くなったあと、後妻を迎えたのだそうだ。そうして生まれたのが祖母だ。
一人だけ母親が違っても、祖母たち姉妹はとても仲がよかった。わたしの記憶のなかにも、全員でわちゃわちゃとおしゃべりに興じる6人の姿がしっかりと残っている。
今回の大伯母以外の姉妹は、祖母も含めてもう鬼籍に入ってしまった。
「わたしねえ、101歳になったのよ」
電話口で、大伯母は語った。結婚後に郷里を離れ、80年近く東京に住んでいる大伯母の話し方は、すっかり関東風だ。
わたしが上京して働いていた頃、大伯母はいろいろと東京のことを教えてくれた。わたしの母も、東京で過ごした大学からOL時代、大伯母にひとかたならぬお世話になったそうだ。
面倒見がよく、おしゃれで美人(ほんとうにきれいな人なのだ)の大伯母は、わたしに「まあまあ、東京にはいろんな人がいるから、慣れることよ」とよく言ってくれた。世田谷の家を訪問すると、帰りにはわたしが持参したのより立派なお菓子と、プレゼントを持たせてくれるのがいつものことだった。あの頃で90歳近かったのに、いつ見ても身なりはきれいで、背筋もピンと伸びていた。
そんな大伯母も、数年前から電話で同じ話を何度もするようになった。わたしを母と間違え、「ほら、あなたの慶應でのお友達の○○さんがいたじゃない、あの人がね……」なんて話すこともある。
でも、柔和で上品な話しぶりは昔のままだし、わたしを励ましてくれるところだって、変わっていない。東京でちょっとだけ心細さを抱いて暮らしていた頃、わたしは大伯母にたくさん救われた。「あなたはカナコちゃん(祖母)のかわいいかわいい孫なんだもの」。その言葉が胸に優しくしみた。
「でね、わたしは今年で101歳になったのね、それでね……」
大伯母が電話口で繰り返す。15分ほどの電話のあいだに3、4回、年齢の話をしている。そうか、101歳。お元気でいてくれて、嬉しいという言葉では足りないくらいだ。
「あら、さっき言ったかしら、わたし101歳になったのよ。もう暑さがこたえるわね。いつのまにか末っ子のカナコちゃんよりずっと長生きしてしまって困るわね」
「そんなこと言わないで。ずっと元気でいてください」とわたしは言った。そして、暑さなんて感じさせない大伯母の涼やかな声をもっと聞いていたくて、電話に耳をぎゅっと押しつけた。同じ話だっていいから。