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二者択一の罠にさよなら

わたしたちの前にはときどき、二者択一の罠が待ち受ける。

「コップに水が半分『しか』入っていないと思うか、コップに水が半分『も』入っていると思うか、どっちの人間でありたい?」

よく問われることであるが、なぜ二者択一なのか。X(旧Twitter)で以前、「コップに水、足したらいいじゃないか」という内容のポストを見かけて、思わず膝を打った。それよ、それ。

「○○と△△、どちらを選ぶ?」と聞かれたら、かならずどちらかを選ばなくてはならない気になってしまうが、別にそうとは決まっていないんじゃないかと思うことがある。

ライター業界だったらこんな感じだろうか。

「いつも80点の原稿を仕上げてくるライターと、たまに120点の原稿を書くライター、どっちがいい?」

似たような問いかけを見たことがあり、なぜ二択なのだろうとずっと気になっていた。

わたしはライターとして仕事をしてきた期間よりも会社員時代のほうがまだ長いので、その経験に基づいて考えてみる。

これまでの会社員生活ではだいたい、いつも80点の仕事をする人も、たまに120点の仕事をする人も、別の条件下だと100点に近い仕事ができていたように思う。時間をもう少しかけるとか、ほかの人の協力を仰ぐとか、である。「もう少し完成度を高められれば……」との指摘を受けると100点レベルに仕上げてくる人が大半だった。

ならば、「80点120点問題」は二者択一でなくていい。選択肢に「時間と費用をかけられるよう工夫する」といったものを含めるといいのかもしれない。コンスタントに100点をめざせる環境を整えるのだ。置かれた状況によっては難しいこともあるだろうけれど、その場合はまた別の選択肢を探ればいい。

「わたしは80点の仕事しかできない」「今回は120点もらえたけれど、毎回はできない」、そんなふうに落ち込んだり、二つのあいだで苦しんだりする必要はないんじゃないだろうか。今ある問題をクリアするためのアプローチは二者択一とは違う場所にあることも多いし、大事なのは「どっちがいいか」ではなくて「よい仕事をすること」なのだから。

先日も、あやうく「どっちを選べばいいのよ……?!」と二者択一の罠にかかりそうになった。よく考えたら、選択肢はほかにもあった。結局、四つめくらいを選んだら、ことはうまい具合に運んだ。

自分に必要な選択肢は自分でつくる。きっとそんなスタイルでもいいはずだ。

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