クシコスポストであせって、そして感謝して
このところ、長女がずっと『クシコス・ポスト』を弾き続けている。
我が家の双子姉妹(7歳)がピアノを習い始めて3年近く。
徐々に有名曲も教わるようになった二人は、楽しんでレッスンに通っている。
「ピアノ演奏そのものは好きだけど練習はちょっと嫌い」な次女と違い、長女は練習がまったく苦にならないらしい。
延々と弾いていることがよくある。
そんな長女が好きな曲が『クシコス・ポスト』(『クシコスの郵便馬車』)である。
運動会のリレーやかけっこのときにBGMとして使われるあの曲と言えばおわかりいただけるだろう。
ほかにも『砂漠のバラ』『スワニー河』なんかも好きな長女だけれど、だんぜん『クシコス・ポスト』がお気に入りだ。
執拗なまでに弾き続けるので、わたしも「あ、今、反復箇所を飛ばしたな……?」などと気づけるようになってしまった。
練習熱心なのは喜ばしいことだ。
一点、曲が曲だけに、聴く者の気が急いてしまうことを除いては。
日本ではかけっこBGMの定番として浸透している『クシコス・ポスト』を聴くと、どうしても気持ちがせかせかする。
「は、早く洗い物片づけちゃわないと……」
あせる。
そして、ピアノのある部屋からはまたハイテンポの『クシコス・ポスト』が聞こえてくる。
タタタ、タタタ、タタタタターン!!!!
おかげで、最近のわたしはやることが早い(おそらく)。
こういう調子で毎日長女のピアノを聴いていたら、わたし自身がフルートを習っていた頃のことを思い出した。
8歳から大学卒業までフルートを続けたわたしも、ときどき狂ったように同じ曲を練習していた。
小学校の頃、発表会の課題曲が瀧廉太郎の『花』だったことがあった。
和風なメロディかと思いきや、フルートが伸びのいい音を出してくれれば洋楽器ともうまく調和する。
発表会向きの華やかな洋の楽曲へと変貌するのだ。
しかし、そのムードがうまく出せないことにいらだったわたしは延々と練習を続けた。
消音器を買ってもらう前だったから、わたしの下手くそなフルートは家じゅうに、いやもしかしたらご近所にまで響きわたっていたはずだ。
最初は「はーるの、うらーらの……」といっしょに口ずさんでくれていた父が、あるとき言った。
「まだ春ちゃうし!」
たぶん、しつこすぎる練習に閉口したのだと思う。
傍若無人なわたしはさらに練習を重ねたけれど。
今、長女の『クシコス・ポスト』にあせらされながら、思う。
わたしは両親の子育てを追体験しているのかもしれない、と。
「娘のフルートが上達するのなら」と我慢してくれていた父の気持ちをやっと理解した。
親の立ち位置はここなのね、と俯瞰で確認する感じである。
ドアの向こうから、また『クシコス・ポスト』が聞こえてきた。
うわーん、あせる、あせる。
せかせかとリビングを片づけながら、かつてわたしの成長を見守ってくれた人たちに感謝している。