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ミニトマトに捧げる仕事歌
しばらく前、スーパーマーケットで悲鳴をあげそうになった。「ぎえっ」と言いかけて、その場で固まった。けっこう不審だったはずだ。
なんと、いつも買っているミニトマトのパックが498円(税抜)に値上がりしていた。税を含めると550円近い。ぎえっ。
以前は「298円」と書かれたPOPが掲げられていた陳列棚。POPが398円へと書き換えられたとき、覚悟はした。
「これひょっとして、いや、ひょっとしなくてももっと値上がりしちゃうよね?」
あのときおそれたことがとうとう現実になってしまった。
しかし、ミニトマトは娘たちの大好物だ。わたしは食べなくとも、彼女たちには食べさせてあげたい。うんうん悩んだ末、498円とシールが貼られたミニトマトの丸いパックをカゴに入れた。
わたしは、双子の娘たち(7歳)を産むまで、ほとんどお料理をしなかった。実家暮らしが長かったからだ。1年だけ一人暮らしをしたけれど、お料理のスキルは上がらなかった。便利な街に住んでいたので、自炊をしなくても生きていけたのだ。「キャンプごっこじゃないんやで?! がんばりや!」と心配し、励ましてくれた友人たちに申し訳ない。
結婚してからしばらくは夫婦ともに忙しく、外食が続いた。新居には炊飯器がなかった。
そんなわたしも娘たちを産んでから、ようやく本格的に家庭料理を始めた。そして、食事をつくる者の目線で、食材を吟味するようになった。
子どもの頃、実家に住んでいた頃、ほぼ外食で済ませていた頃。自分でお料理をしなかったそれらの時期とは違う視点に立ち、食べものを選ぶのは大変なことだった。
献立を決めるのにも、炭水化物ばかりに偏っていないか、脂質過多になっていないかを考える。食材も、新鮮であるかはもちろん、毎日とるものとして高すぎる価格ではないかをチェックする。
そういうプロセスを経て、やっとお料理にとりかかれる。わたしのお金は食べものへとかたちを変え、手をかけることで食事となって体にとりこまれる。
働いて得た食べものが命をつくる。その事実を生々しく経験した。
498円の価格表示に震えながら手にとったミニトマトも、娘たちの体にとりこまれて命の一部へと姿を変える。お米もパンも、お肉だってそうだ。
働く、買う、お料理する、食べる、生きる。わたしがやっているのはそういうことなのだという実感が、胸のなかにすとんと落ちてきた。
わたしには仕事に手をつける前に変な歌を口ずさむ癖がある。
「おらーは、やるーぜぇ、おらーは、やるーぜぇ」
わたしが作詞作曲(?)したもので、社会人になって数年めにはもう歌っていた。
今日もこれを歌ってから仕事に集中した。夫やわたしが働かねば、ミニトマトは買えない。変な仕事歌も、ミニトマトのある食卓に貢献している。