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さよなら百葉箱
大阪メトロから、百葉箱が消える。
2025年3月をもって大阪メトロのプラットホームにある百葉箱が撤去される、というニュースを知ってからしばらく経つ。気づけばもう年度末が間近に迫っている。
百葉箱(ひゃくようばこ)とは、気温や湿度などを測るための観測機器が収められた箱である。雨や風から機器を守るため、箱に入っている。
大阪メトロの駅には、ホームに百葉箱が置いてあるところがある。はじめて設置されたのは90年ほど前らしい。100年近くにわたって、百葉箱はホームの環境を測定するために働いてきた。
わたしが大阪メトロの百葉箱と出会ったのは三十数年前だ。電車通学を始めた小学生の頃、御堂筋線のホームに百葉箱を見つけた。三角屋根のついた白い木製の箱で、長い脚の上に立っている。なんだこれ。
わたしは転校生だった。公立の小学校から私立のミッションスクールへ編入したばかり。入学前に改札の通り方や乗り換えのしかたなどはひととおり教わり、母に同行されて何度も学校に通う練習をした。最初の一週間ほども母が登校に付き添ってくれたと記憶している。
一人で通学するようになった日は心もとなかった。人から「大人びているね」と言われていたものの、やはり十歳に満たない子どもにとっては不安な登校だった。
わたしは、百葉箱の近くでもやもやと立ち尽くしていた。そこへ声をかけてくれたのがクラスメイトのAちゃんだった。わたしは彼女の顔をまだ憶えていなかったけれど、向こうはクラスに2人しかいなかった編入生をしっかりと認識してくれていた。
「このあいだ来た、編入の子やろ? いっしょに学校まで行こ?」
わたしはこのときのことを忘れない。すらりと背が高い彼女に先導され、いっしょに電車を乗り換えて学校へと向かった。たどり着いた学校は、まだ親しみを抱きにくい雰囲気ではあった。けれど、校舎はわたしを待っていてくれたように思えた。
Aちゃんは正門に立つ守衛さんに「おはようございまーす!」と、はじけるような挨拶をした。
「この子、編入生やねん!」
「そうかそうか、なんか困ったことあったらガーちゃんに言ってな! なんでもやで!」
守衛さんは自分のことを「ガーちゃん」と言った。おそらく「ガードマン」のガーなのだろう。
わたしの学校生活は、動き出した。Aちゃんと知り合ったのをきっかけに友達は増え、毎日が円滑に、楽しくまわるようになった。ガーちゃんにもお世話になった。Aちゃんとは、三十年以上たった今も友人づきあいが続いている。大人になっても彼女は背が高く、かっこいい女性だ。
また、会社員になってしばらくした頃、わたしは仕事で失敗をした。先輩や同僚から失望の眼差しを向けられている気がして、通勤がいやになった時期があった。
そのときも、御堂筋線ホームにある百葉箱近くのベンチでぼんやりしていた。なかなか電車に乗れない。このままでは遅刻してしまうと思いながら、百葉箱を視界の隅に入れていた。しかし、Aちゃんのようなスーパーウーマンは現れない。仕方がないので、わたしは足を踏ん張り、ホームに滑り込んだ電車に乗った。あの一歩は、今でも心にこびりついている。
Aちゃんに助けてもらったときも、自分で心を立て直したときも、百葉箱が近くにあったと思うと、その引退が寂しくてしかたない。百葉箱は、通学する児童や生徒たち、仕事先へと急ぐ勤め人たちをはじめとしたたくさんの人々を見守ってきたはずだ。
このあいだ、御堂筋線「天王寺」駅のホームで百葉箱を見かけて、思わず写真を撮った。
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この佇まいを見られるのもあと少し。すでにいくつかの駅では撤去が始まっているようだ。あと何回会えるかな、と思ってしまう。
こんなわけで、最近はほんのりとしたせつなさを感じながら地下鉄に乗っている。