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白虎隊士の墓と自刃の地 / 会津若松市

白虎隊とは会津戦争の際に会津藩によって組織された16〜17歳の予備兵力隊で実戦に投入される予定ではなかったので、装備は火縄銃に毛の生えた程度の先込め式のゲベール銃を持たされていた。
実効射程距離は100メートル程度だったらしい。

白虎隊は戸ノ口原の戦いで敗れ飯盛山へ遁走。負傷と疲労困憊によりこれ以上の戦闘は不可能と20名が自刃を決行し19名が死亡。
唯一、飯沼貞吉(のちに貞雄と改名)だけが自ら喉を突いたが死に切れず生き残った。

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白虎隊は若松城下町の火災を見て落城したと思い込み自決を選んだというのが一般的に知られている話だ。
だが実際には違うらしい。白虎隊は城下町が炎上しているのであって落城したのではない事を知っていた。しかしこのままでは入城するにしても闘うにしても敵に捕まることになる。生き恥を晒すよりはと飯盛山で自刃を決行したと言うのが真実の話らしい。

白虎隊士の墓と自刃の地 / 会津若松市
時々ぶらぶら

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