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30年前の大学受験当日のこと

当日の朝については、まだすこし書き忘れたことがあります。

朝、2時間くらいは早くに最寄り駅について、「大きな大学なんだし、てきとうに人の流れについていけば、行けるよね、、。」とざっくりアバウトに、若者の流れについて歩いていったら、都立三田高校の門だった、、、とか。(笑)
そこから慌てて方向転換して、小雨のなか、慶應の三田キャンパスにぐるっとまわってたどり着いた。
まさに本番前!ってときですよ(笑)。間に合ってよかったねぇ。

入試の教室についたら、すぐそばに同じ高校出身だけど一年仮面浪人して、大人っぽい私服姿になっていた先輩がいて、「そうかぁ、一緒に受けるのかー。そんなに憧れの大学、わたし、大丈夫かな。」、と思ったこととか。

なんか、今よりものんびり鈍感でマイペースな性格だったのが、結果として、よいほうに転んでくれてよかったねぇ、としか思えない。

ほかの人だったら、これで無事にはテストがうけられない人だってあり得るなぁ、と承知してきたのは最近のことです。

でもね、この日は、今までの模擬試験やなんかでは、なかなか書ききった気持ちになったことのなかった小論文が、「これは書けたぞ!」って感じに書けたんですね。もちろん、自分なりに、という範囲のなかでの手応えだけど。だから、実力を出せたという意味でのスッキリした感触はあった。

長文といわれる英語も、学校で普段よまされていたレベルから言えば別に長いってわけでもなかったし(学校での英語教育のレベルが高かったですね・・長い休みのときには薄いけれど英語で一冊の本を読むよう、渡されていました。)、鍵となる重要な単語の訳が、「うー、ハズレてたら怖いなぁ」と思いながらも、ばっちり大丈夫だった。(しかし、受験を終えて三日間は、辞書で確認する勇気がわきませんでした、というのも私の性格の事実です・笑)

教訓としては、縁があるときは、ある。なるようになる。こんなんでも受かるときは受かる(落ちそうなかんじでも)! ということでしょうか、、、。

ああ、お恥ずかしい話です。しかしそうでない顔を装うほうがもっと恥ずかしいかもしれないので(笑)後に続く若い世代に、こんな話が、もし、お役に立つのならします。「ほら、けっこう大丈夫かもしれないよ」、という意味でもね。


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