母が癌になった。③

病院から2度目の電話があった2日後、私は再び母が入院している病院に行った。担当医師、看護師長、ケアマネージャーがテーブルをはさんで座っている。私と姉が初めてきちんとした形で母について話し合う場となった。

私にとって今回の目的は「母の病状を詳しく聞くこと」「母の退院の日を決める事」「姉に冷静に話を聞いてもらい今後について話し合う事」だった。

この話し合いの後には母がずっと以前からお世話になっているケアマネージャーさんとも直接顔をみて色々相談する約束もしていた。(ケアマネージャーさんの同席を病院側が断ったそうで、別の時間に会う事になった)

先ず、担当医師から母のCTの画像を見ながら説明を受けた。
左側の肺は胸水でほとんど潰れている様子がわかった。
胸水を少なくする治療をしていたが全く変わらなかった為、血液検査をしたら「SLX」という値が通常の5倍あると言われた。この値はがん細胞によって産生される糖鎖を検出する腫瘍マーカーということらしく、肺がんが広範囲で増加しているだろう・・・と説明された。

そして心臓、腎臓の値も悪く、転移などがんの検査に身体が耐えれないだろうからこれ以上病院としては何もすることがありません。
余命は短くて1ヶ月、長くて半年だと思います。
進行性の病気なので今現在が一番いいときです。この1ヶ月をどう過ごすかを考えてみて決めて下さい。
何度もいいますが、病院では何もできません。お母さんは家に帰りたがっています。どうされますか??

医師の言葉を聞き、私は姉にどうする?覚悟決めて母を退院させて家に戻そう・・・。だって余命1ヶ月かもしれないよ・・・。

姉は「じゃあ、そうしよう」と・・・・。

これで母の退院は決まった。
ただ、家でいまの母の世話をするための準備がまだぜんぜん整ってはいない。でも、今日この後すぐに母の担当ケアマネージャーさんと会う約束をしていたので介護用品など相談するつもりでいた。

なので、1週間後の日を退院の予定日にして準備を始めることになった。

大体の話し合いが終わった後、母が病室から私たちがいる話し合いの部屋に車いすで来た。

医師が私たちの前で母に病状を説明をし退院のことも話すことになっていたからだ。ちなみに医師は今時はがんの告知は当たり前なのでお母さんにもします・・と言っていた。

母はCT画像が一番見える席に位置した場所で医師からの説明を聞いていた。
母はたぶん難しいデーターの話はあまり頭に入ってこなかったのだと思うが、「もうこんな90歳の身体だから、もう仕方がないので家に帰ります」といい、あまりに呆気ない言葉に医師はそのまま母にがんの告知をしなかった。(これがこの後、私たちを悩ませることになるとはこの時は思ってみなかったが・・・)

そして、1ヶ月後に再度CTを撮るために病院で予約をいれた。医師は検査しても仕方がないといったが、私はがんの進行状態を知るには入院時に撮ったCTと比較する為だけに予約を入れることにしたのだ。

その日の夕方、ケアマネージャーさんと実家で会い今日話された母の病状と退院が決まったこと、それに伴い自宅に介護用ベットや歩行器などが必要な事を伝え、早急に手配をお願いした。

私はこの長い1日を終え、また4時間かけて家路についた。



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