論破
ネットで、「君は議論に強い訳ではなく、相手にすると疲れるから周りが引いてるだけ。と言われた」という投稿を見ました。
これ、マジであります。
論破しようとする人がいますが、あれはあまり良くないですね。
何か建設的なゴールを目指しているのではなくて論破すること自体が目的になっている気がして、話していて心が折れます。
もちろん、論破できるくらいですから、理屈が通っていることも多いのだろうと思います。
しかしながら、理屈がその一つだけだとは限らないし、ベストな理屈だとも限らないんですよね。
また、最終的にその理屈に落ち着くとしても、そこに至るまでの道が、論破だけしかないとも限らないです。
論破することによって至る結論は、相手の納得ではなく、諦めに基づくだけである可能性があります。
たとえ結論として正しかったとしても、良い結果を生むとは限らないです。
要は、相手に優しくないんですよ、無駄に傷つけている可能性すらある。
論破には、正義のためには悪事も働いていい、みたいな空気を感じることがあります。
また、相手を論破することは、快感を伴います。
その快感には、自己の優位性の確認、相手への侮蔑という、マウンティングと同種のものが含まれている場合があります。
根っこの深いところでは、差別やいじめと同じような醜さを含んでいるかもしれません。
もちろん、人間なので、序列をつけることはあると思いますし、序列を完全になくすことは難しいです。
あらゆる面で序列を完全になくすことが良いことなのかも分かりません。
でも、論破による快感には、そのような醜い(かもしれない)心情が混じっている可能性があることを忘れてはならないと思います。
論破は、基本的に、自分にも相手にも、良い結果をもたらさないです。
僕はもともと弁が立つ方ではないので、論破について原始的不能状態だったりするのですが、論破という選択肢を取ろうとしないように、できる限り、気をつけたい。