憧れは、大人の焚き火とかっぽ酒。
これは、アウトドアブランド「Col to Col(コル・トゥ・コル)」が立ち上がるまでの経緯と、中の人が何を考えているのかを、三人のメンバー(タッカ・エンゾー・ドフィ)が代わる代わる綴っていく「問わず語り」です。
【ドフィの回:001】
私のアウトドアの入り口は、キャンプというよりも、山小屋生活でした。
小学生の頃、私は8歳くらいだったでしょうか。親に連れられて、親の友人夫妻が木を切り倒して手作りした山小屋に、週末のたびに泊まりに行くようになりました。その山小屋には、高校生になる頃くらいまでは通い続けていたと思います。
山小屋の場所は、福岡県糸島市にある雷山という標高1,000m程度の山。
有名なゴルフコースがあるところなのですが、そこは私たちにとっては自然の中にある週末の宿泊先でした。
初めて行った時には、まだ未完成だった山小屋。
扉も窓もなくて、立派な二階建て構造なのですがまだ階段がなく、初回は梯子を立てかけて上がるシステムでした。今思うと小学生には危険なところがたくさんあったのですが、私たちにとっては忍者屋敷のようで、新しい木の匂いを楽しみながら、ルールのない山小屋の使い方にドキドキしながら動き回って遊んでいました。
この山小屋、はじめは窓ガラスもなかったので、幕を張っていないテント、屋根のある屋外で寝ているようなものでした。風の吹き抜けが大きくて、虫も入り放題。
個人的に、都会のマンションで見る虫は怖いのに、自然の中にいる虫は怖くないんだと、ここで初めて知りました(アウトドア好きのみなさんはいかがでしょう?)。
その山小屋は通うたびに、シャワー室やキッチン、窓ガラスや扉などが一つずつ整備されていき、半年位経過した頃には、持ち主の夫婦によるペンションとしての営業が始まっていました。
私たち子どもは、昼間はキノコ探しや動物探し、縄跳びやかけっこ、バドミントンやドッジボール、一輪車の練習など、外でできる遊びをなんでもやりました。
お手伝いとしては、山小屋のそばで薪割りをしたり、薪や食べ物を焚き火の場所へ運んだりしていたと思います。
特に日本昔ばなしでしか見たことがなかった薪割りを、ひとりでさせてもらえることに感動して、山積みにされていた木を手に取り、切り株の上で、斧やナタを楽しく振り下ろしていました。
調子に乗ってたくさん割ろうとして、ヘトヘトになってしまい、ふらふらしてナタを右手の上に置いたことで小さな怪我をしてしまい、自分の流血を見て気絶して、そこから自分の血を見ると気絶と痙攣をする癖がついてしまったのも、この山小屋での出来事です。
そのとき、私は自分の怪我に驚いたのですが、気絶した私を見たとき母親が私を抱きしめながら笑っている声が聴こえて、私は自分の状況が深刻じゃなかったんだと感じ安心したのを覚えています。
この山小屋での生活では、大人がふざけたことをしても許される場で、平日に見る大人とは違い、休みの日にリラックスしてバカな話をしながら大笑いする大人たちの姿が印象にに残っています。
私はここで、大人たちはこんなふうに楽しく遊ぶものなのだと知りました。
山小屋の隣にある広い広い敷地を「運動場」と呼んでいて、そこに訪れるメンバーだけの運動会を開催したこともありました。
その運動会のプログラムは、遊びが大好きな大人たちが作ったもので、ふざけた歌詞の替え歌がオープニングの曲でした。
おじさんが紙にふざけたプログラムを書いて、拡声器を使って司会担当の中学生に指示をして進行させていたのを覚えています。
競技は5つくらいしかないのに、選手宣誓とか、歌とか、はじめの言葉、などのプログラムが本格的で、大人たちは遊び心でそこを楽しんでいたのでした。
誰かがふざけるたびに大人たちはとにかく笑うのですが、私たちは大人の冗談がよくわからないまま、大人が笑うことで、なんとなくの理解をしながら大人の笑いの感覚を養っていきました。
山小屋ではいつも夜になると、屋外にある、あずまやのような屋根のあるスペースに集まり焚き火をして、焚き火を囲炉裏のように囲む宴会が始まります。
食べ物は、山小屋の持ち主が振る舞う料理の他に、串焼き、各自が持ち寄ったおかずだったはずです。
私たちは何を飲んでいたのでしょう。あまり覚えていません。
ただ、大人が竹筒にお酒を入れて、焚き火に突っ込み温める「かっぽ酒」を飲んでいたことは、鮮明に記憶しています。
私たち子どもたちは、大人と一緒に焚き火を囲み、毛布にくるまって、パチパチ聞こえる音と大人の談笑をBGMに、燃え上がる火の近くで、お互いの赤らめた顔を見ながらおしゃべりをして過ごしました。
私はここで、毛布に包まれた状態で、焚き火の暖かさで寝落ちしそうになることの気持ちよさを知りました。
この大人が飲んでいたかっぽ酒。
みなさんはご存知でしょうか。
一般的には中身は焼酎や日本酒を楽しむもののようです。
このときの大人たちは焼酎ではなく日本酒を飲んでいたように思います。
竹筒でお酒を温めると、竹の香りがお酒に移って、香ばしい味わいになるとか。
竹筒を焚き火に差し込んで温める、その見た目がもう、ワクワクするもので。
そして何より、温まったお酒を飲む大人の、その美味しそうな顔が忘れられなくて。
大人たち、温まったお酒を飲みながらほんっとうに楽しそうに話すんです。
焚き火の光に照らされた、あんなに楽しそうな大人たちの顔と、ガハガハと響き渡る談笑の声。
周りは山で、家もなくキャンプ場でもないので、どんなに大きな声で話しても笑っても、誰の迷惑も考えなくていいんです。
やまびこになっていたのかもしれないくらい、大きな声のときもありました。
今でもどこからか聞こえてきそうなほど、この大人たちの楽しむ声が耳に残っています。
それから20年以上が経った今、私は大人になって東京で家族を持ち、たまの休みの日にアウトドアを楽しむ生活をしています。
そんな私のアウトドアの原点は、この大人たちと囲んだ山小屋の焚き火です。
原点であり、憧れでもあります。
大人になった今、あの焚き火とかっぽ酒を、今度は自分たちが楽しみたい。
大好きな仲間と集まって、かっぽ酒を飲みながらバカな話をして、腹の底から大笑いしたい。
子どもたちにも、毛布に包まってもらって、焚き火にあたりながら、自然の中で楽しくお喋りしてほしい。
⑴焚き火を囲んで、
⑵かっぽ酒を飲みながら、
⑶気の置けない仲間と
⑷馬鹿馬鹿しい話をしながら
⑸大笑いする。
⑴⑵までは、きっと難しいこともなく実現できると思うのですが、⑶⑷⑸が重なると、なかなかいまの世の中では簡単なことではなくなると思いませんか?
これこそが、今の私の憧れです。