“歓迎されている”と思い込む。
夫が公休日のある日
午後から愛車を下道トコトコ走らせ
わたしの『心のふるさと』の奈良に向かった。
なぜ奈良に住んだこともないのに
『心のふるさと』かというと
父方のルーツであって
お墓が大和郡山にあるのと
三月の月まいりで龍田大社から廣瀬大社に
移動途中の車の運転中に、
「安心しなさい。奈良はあなたの
心のふるさとだから」
と、何者かの声がわたしの耳に
響いて来たから。
その日からわたしは
『奈良は、わたしの心のふるさと』
と、勝手に認定した。
朝引いた[日本の神