価値がないものなんてない優しい世界だった
2021.6.16
何かを与えないと相手にしてもらえない世界
→いるだけで、存在しているだけで大好きな人達が集まってくる世界
昨日、ある方のセッションを受けて自分の見ている世界がガラリと変わった
ずっと、自分の中で人と関わる中で不思議な怖さがあった。
・仲良くなりたい人との距離が近くなると怖くなる
・何も隠していないし、むしろ話すほうなのに「できない自分」がバレてしまうのが怖い。という感覚。
・facebookなどの昔からの好きな人や尊敬する人、ビジネスをやっていて関わったことがある人が繋がっている場所で自分を出す(発信)が怖い
・自分ができないことをさらっとしている人を見ると「わたしは何もできない、何ももっていない、あの人はすごい」といっきに自信をなくす
・自分より何かできる事がある人に自分から声をかける事ができるけど、勇気いる
・ビジネスができる人に自分のサービスを提供するのが怖い・・・etc
ここからわかったことは【できない自分がバレる】ことへの恐怖だった。、と一度は思った。でも、まだそれよりも深い部分に根っこがあるのが見つかった。
それが、できない自分がバレると
誰にも相手にしてもらえなくなる。という思考があった。
さらにもう一つ深くいくと、そこには
「相手にしてもらえない自分なんて・・価値ない」という前提。
自分は価値がない。と根っこではまだ思っていた。
何かできることに価値があって
何かできないことには価値がない
価値がある or ない ものに
無意識的に分けて、自分でジャッジメントしていた。
価値がないものなんて本来ないはずなのに。
セッションとしてもらってる相手にこう言われた。
「価値がないものなんてない、優しい世界だよ」と。
私には腑に落ちやすかった。
「全部に価値があるんだよ。」と言われるよりも価値がないものなんてない。のほうが受け取りやすかった。
ずっと相手に与えないといけない世界に生きていた
与える、与えない。この言葉はもういらない。
皆やりたくてやってる、できるこたやってる、与えている意識もない。自分ができることをやって受け取るかは相手次第。相手が受け取りたい時に受け取るし、受け取りたくないところは受け取らない。ただそれだけ。
そして、できない自分。って???だった。
何を基準に「できない」としているのか?
できない自分とは=与えることことができない自分の
それは、私が与えるものがない相手、私が得意とするもの、持っていて与えれると思っているものを既に持っているか、私以上にそれを持ってる人には、私は近づけなかった。だって与えるものかない。から近づいたら
与えるものない=できない自分がバレる
ということがバレてしまうからだ
衝撃!!!!は?何言ってんねん!!笑
与えないと相手にしてもらえない。
ずっと無意識にそう思ってた。 本当に気づいていなかった。
だから、私が持ってて与えれそうな相手には自分から積極的にいけた。だって与えることができるから関わってもらえる。という前提があるから....
ぁぁぁあああーー!まじか!!笑
でも、距離が近づけば近づくほどに、与えるものが減ってくるから与えれるものが少なくなってくるから怖い。私は与えるものがないから声かけれないっ!!って。それの繰り返しだよ。だから、仲良くなっても、それ以上あまり踏み込むことが中々できない。ほんの少人数だけ。
ビジネスでも同じことしてた。
最初はいいけど、関われば関わるほど与えるものなくなっちゃうんじゃかいか?って。与えるものが枯渇する感じ。だから長期で付き合うのも怖かったのかも。相当自信がある商品じゃないかぎり。
価値がない自分=与えるものがない自分
でも、何でずっとこの価値ない自分を持ち続けてるんだろう?
っと疑問に思った。
持ち続けるのには必ずなにかメリットあるはず。
それを掘っていくと・・
価値ない自分ならどうなれる?→安心する→わたしはこの程度だって思ったら傷つかない→自分を守れる、揺らがない自分になれる
自分を出したら傷つく、自分が死んでいく、いなくなっちゃう。
過去の自分の家庭の環境が、父が何をしても怒る人で、
よく理不尽なことでも怒られていた、殴られていた。
だから、自分を出すことを諦めた。そこで家族のバランスをとるために、常に自分の感情を客観視して見ることでバランスをとることを覚えた。
この時、自分を守るために。わたしは自分という人間を守るために。
殻にこもった。
殻にこもることで自分という人間の人格を守ったんだと思う。
だから、人と深い仲になるにつれ怖くなっていた。
殻をやぶってしまったら自分がいなくなっちゃうんじゃないか。潰れてしまう。って。だからある一定のラインからそれ以上踏み込まないような関係が多かったんだと思う。
自分が価値なんてもっっちゃたら潰れちゃう、死んじゃう。
だから、持たなかった。ううん、違う。怖くて持てなかった。
でも、価値がないものなんてない
ある、ないも自分で決めていた、ジャッジメントしていた。
だから、こっちはできることするだけ。
自分がやりたいことするだけ。
あとは受け取る側次第、欲しかったらもらうし、
いらなかったらもらわない。
だから、本当に誰かのために何かしなくていいんだ。
って初めて思えたのかもしれない。
私が欲しいのは、揺るがない自分
怖さを感じることで揺らがない私になる。
はやめて
人との関わることで色んなことが起きて
成長し、自信となり揺るがない自分になっていく。
人との関わりは魂の成長。心を動かせる。
(今もあるけど、さらに揺るがない自分になってたら素敵だな。)
facebookの投稿もそうだった。
できない自分がバレて、誰も相手してくれなくなることが怖くて
そんな価値ない自分に気づきたくなかった。
facebookのいいね少ない=与えれない自分、価値ない自分
与える、与えないとかの世界じゃない。
与えようとして与えるものじゃない。
与えても、与えなくても価値ある。
でも価値ある、ないも自分が決めていた。
与えれない自分には価値ない。誰かのために与えなければいけない世界。
いいね、がつかない時、
→あー価値ない自分が見えちゃう。バレちゃう
(与えれない自分は存在する意味ない)
何回も言うけど、価値ないものなんてない。
それも私が勝手に決めていただけ。
受け取りたい人だけ受け取る。
だから、やりたいようにする。それだけ。
私がいるだけで、大好きな人たちが集まってくる世界に生きる、と決めた
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