ー混ぜるな危険ー恋愛がうまくいかないのは恋と愛を混ぜるから
●デートに誘っても無視される
●デートに行ったら、すぐにLINEブロックされる
●セックスはできるけど、付き合えない
●付き合うことはできるけど、長続きしない
●恋人を誰かに取られるのが怖くて束縛してしまってうざがられる
などなど、恋愛がなかなかうまくいかないという方も多いのではないでしょうか?
最初に結論をまとめてしまうと、恋愛が難しいのは、
恋と愛という互いに矛盾する行為を同時にやるから
というのが僕の見解です。
結論だけ読んでもう後の内容はすべて分かった!という方はここでタブを閉じてもらって大丈夫です。
もっと詳しく知りたい!という方は最下部まで目を高性能スキャナーにして読んでみてください。
恋愛をうまくいかせるためのヒントも随所に散りばめてます( ̄ー ̄)bグッ!
恋は生殖本能
芥川龍之介が言ったように
「恋とは性欲の詩的表現」
だと僕も考えています。
つまり、「恋する」というのは、
・交尾したい
・あなたの子が欲しい
という生物的欲求をオブラートに包んだ表現だということです。
男はセックスアピールの強い女性を見たときに性欲が湧き上がるのを止めることができないように、
生物的欲求は意思では止めることはできない
こういった生物的欲求は脳の自動処理システムに組み込まれているので、本人の意志ではコントロールできません。
「飯食って消化したらうんこしたくなる」のと同じです。
思ってしまうのは止められなくても、それを実際に行動に移すかどうかは理性で制御できます。
この理性がもう一方の愛と深く関わっています。
愛は自由を重んじる
愛は恋(生物的欲求)とは全く違うものです。
恋が相手を束縛しようとするのとは反対に、相手を信頼して自由にしておくのが愛です。
僕は愛を
相手の幸せのために尽くしたいと思う気持ち
だと定義しています。
あるメタボ父親が障害で寝たきりの息子が「マラソン大会に出たい」と言ったので、車椅子を押して42.195キロ走った
この話には誰しもが父親の無償の愛を感じるのではないでしょうか?
愛というのはこういうものです。
愛する人の幸福のためだったら、自分の苦労を厭わず全力で尽くすものです。
(例の父親の場合、マラソンのおかげでメタボが改善されて、結果的に自分のためにもなったようですが)
怒鳴り合うカップル
完全な余談ですが、
「一人の人間(彼女または奥さま)しか愛してはいけないんだったら、子供が生まれても愛することはできないのか?」
って質問を「愛は一人だけに向けられるべきもの」って言ってた女友達にぶつけてみたことがあって、この疑問への自分なりの回答がこの記事で解説していることです。
酒も入っていたせいか、最終的におしゃれなレストランで怒鳴り合いのケンカになった思い出深い話題です。
隣にいたデート風の男女にとっては極めて迷惑な客だったことでしょう(笑)
怒鳴り合ってる時はお互いに理性を失った状態なので、愛など生まれようがありません。以来彼女とは一回も合ってないです。
愛と恋、混ぜるな危険
恋愛が難しいのは全く真逆の方向性の恋と愛を混ぜてしまっているからです。
恋は相手を束縛したがりますが、
愛は相手を自由にさせたがります。
AV監督の二村ヒトシさんが著書「すべてはモテるためである」で
「女は『私を束縛して同時に自由にして欲しい』という矛盾した感情を持っている」
と書かれていました。
(一時期、二村さんの著書を大量に読んでいたので、ごっちゃになって載ってた本が間違っているかもしれません)
僕はこれが恋愛の本質だと思っています。
恋愛は矛盾する恋と愛を混ぜてるからややこしいんだと。
しかし、本能として
・男には女を支配したいという欲求が
・女には男に支配されたいという欲求が
あります。
男が恋100%になると女は性欲処理の道具にしか見えなくなるし、女が恋100%になると男に隷属するだけの喋るダッチワイフになり、社会生活が営めなくなります。
なので、恋と愛、0、100で考えるのではなく、現実にはその中間でバランスを取りながら恋愛をすることになります。
無償の愛という幻想
性欲がゼロの人間はいないから、愛100%にはなれない。
少なくとも恋愛に置いては無償の愛は幻想ということです。
だから、恋人の浮気は許せない。
独占欲を抑えられない。
愛100%であれば、恋人を独占する必要はなく、恋人が幸せであれば、それ以上に求めることは無いはずです。
それができないのは、人間の本能的(生物的)欲求があるから。
恋人を独占したがる生物的欲求については、以前の女はなぜ浮気するのか?という記事で解説しています。参考までにどうぞ。
↓こちらの記事です↓
母親のわが子への愛がこの無償の(100%の)愛に近いと思います。
愛ある親は子供が結婚する時に「私の所有物が奪われた」とは思わないはずなので。
(毒親の場合、結婚に対して子供を取られると感じて、結婚を妨害しにかかるケースもあるようですが)
恋100%になるとうざい人になって恋愛がうまくいかない
愛の要素が少なすぎて、恋一辺倒になると、恋愛は失敗しやすいです。
恋100%の状態は完全に自分本位で相手のことを考えていません。
恋ばっかりになると
●デートに誘ったLINEに返信がないのに不安になって、追撃LINEを送りまくってブロックされたり
●デート中に無理やり迫って、不快にさせたり
●無駄に相手に対して攻撃的になったり
●相手が誰かに取られるのが怖くて、束縛したり
●感情にまかせて相手への配慮のない行為に及んでしまったり
などなど、人は困ったちゃんになります。
本能(感情)の奴隷になっている状態です。
こんなことをしてると、そもそも恋仲になれない事が多いし、めでたくカップルになってもだいたい相手が耐えられなくなって逃げ出します。
こういう失敗が多い人は、愛の割合をもっと増やすことで恋愛は上手くいくようになります。
一方で、愛するという感覚が分かって来ると、
相手が幸せであれば、それ以上のことは要らない
と思うようになってきます。
また、自分が愛していれば、相手が自分を愛しているかどうかも気にならないです。
愛の感覚だと、一緒に居ることが必須ではなく、
相手が人生を幸福に生ききってくれたらそれで、距離が離れていても近くてもどちらでも良いと感じます。
(親が巣立った我が子を思う気持ちを想像してもらうと分かりやすいかもしれません。)
一方で、完全に愛100%だと恋愛は成立しなくなります。
自分の愛しているという気持ちさえあれば、距離が離れていても愛は成立いしますが、恋=生殖活動はリモートでは行えないので。
繰り返しになりますが、恋(=本能)と愛(=理性)の間でうまいことバランスを取らないと恋愛は上手くいかないってことです。
濃い一辺倒になって相手の行動を制限するのではなく、自由に好きなようにしてもらうとか。
相手の幸福のためを考えて行動するとか。
愛するために一番重要なのは理性です。
恋愛がうまくいかないとしたら、理性が不足している可能性が高いです。
感情に振り回されず、冷静に行動するためには理性が必要です。
また、何を相手が求めているのかを推測する理性がないと、相手を喜ばせることは難しいですよね?
人間と動物
動物的本能と人間的理性の間で揺れ動いてるのが人という存在だと僕は考えています。
どこかでその折り合いをつけなければいけません。
多分、それが大人になるということかもしれない
などと詩的なことを考えています。
子どもの頃は動物的に(本能のままに)振る舞っても許されますが、大人になると社会と折り合いをつける必要がでてきて理性が無いと生きづらくなります。
今回は、恋愛は恋と愛を分けて考えるとわかりやすくなりますよ。
そして、恋と愛の間でバランスを取ると恋愛はうまくいきますよ
というお話でした。
相性の良い人
この恋と愛のバランスが近い異性ほど一緒にいて心地よいと感じるのではないか
と僕は思っています。
僕が恋仲になる女性は
「私にバレないようにやるなら、他の女と浮気しててもいいよ」
というタイプが多かったです。
徹底した自由恋愛主義者で、
「私も浮気するからあなたもご自由にどうぞ」ってタイプでした。
僕も束縛するのもされるのも嫌なので、僕も恋愛関係になると必ず最初に
「俺は何も制限しないから、自由に他の男の所に行ってもいいよ」
って言っておきます。
(こう言うと、僕はいつも浮気してるように聞こえるかもしれませんが、脳のメモリをほぼ占有するような面白い恋人がいるときは浮気する余裕がないです)
こんな感じで、世間的には異常なくらい互いの自由を重んじる女性とじゃないとなかなか長続きしません。
余談:理性の無い者に誰かを愛することはできない
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という書籍で、人を愛するには理性や技術が必要であることが解説されています。
本の要点を乱暴に言うと、
感情を理性でコントロールできない人間には、誰かを愛することはできない
ってことです。
愛するためにやるべき事を列挙しまくってて、しかもそれぞれがゴリマッチョな内容なので、「”愛する”って無理ゲーじゃね?」と思ってしまうような内容ですが(笑)
この本の原題は”The Art of Loving”なんですが、これが「愛するということ」という邦題になったのが僕には謎です。なぜ、普通に直訳で「愛する技術」としなかったのかと。愛する技術の方がキャッチーだし、原題に近いと思うんだけどな。
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