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思考停止と素直さ

最近、身の回りで「思考停止」という言葉をよく聞くようになりました。
英語にすると「stop thinking」だそう。
考えるのをやめるってどういうことだろう?
自分なりに考えてみました。

そもそも、考えることってやめられるのだろうか。
人間は1日に6~7万回も思考しているとか。
でも、そのほとんどはネガティブなことで、自動的に起こるもの。
私なんかは根がおしゃべりなので、思考も瞑想してやっと止まるくらい笑

「思考停止」を叫ぶ人々は「批判的に、自分事として考えていない」ということが言いたいのかと思います。

これ、学校で本当によく直面する問題だな、と確かに思います。
「そんなこと言われてないからやってません。」
「誰に相談していいかわからなかった。」
「(意志決定の場面で)どうしたらいいかわからないから決めてほしい。」
「(自分の問題なのに)じゃあどうすればいいですか?」

私は、困った時は自分の口で協力を求められるような、みんなで知恵を出し合える関係を作れるような子供たちにしたいと思っています。

もちろん、子供だから、大人の介入が必要なことも多いけど、
大人が全部くみ取って与えてたら、そりゃ考えないよねって話です。

だって、いずれ守ってくれる大人から離れて生きていくんだから。
「どうすればいいと思う?」「どうしたい?」「この状況でベストな方法は?」を根強く聞きながら、自分の力で意思決定する経験を積んでいくしかない。

一方、「批判的」だけを切り取って、噛みついてくる子や大人もいます。
そういう人たちは往々にして理論武装しているので、
確かに言っていることは一理あるように聞こえる。
でも、私からすると、それもある種の思考停止に見える時があるんだな。

どういうことかと言うと、結局のところ、自分に都合の良い他人の主張を切り取って、鵜呑みにして、こちらに押し付けてきているように見えるということ。
それは批判ではなく攻撃というのです。
そして、相手のことを考えないことはまた、思考停止だと思うのです。
相手がどう思うか、そのあとどうなるか。何も考えていない。

で、日々授業をしていて思うのですが、伸びる子は「素直な子」です。
誰から言われたことも、とにかくやってみる。
言われたとおりにやってみる。
で、必要だと思ったことを取り入れて、積み上げていく。

それを、思考停止だとか同調圧力だとかっていう人もいるけど。
そうじゃないと思う。
まぁ確かに、言われたことしかしない子もいるけどね。
そんなにイマドキの先生は、高圧的じゃないですよ笑
それに、ちゃんと受け取れる子は、ちゃんと取捨選択できます。

そもそも「批判」とは、相手の悪い点を指摘することではない。
「批評」は良い点も悪い点も指摘する、という意味もありますが、
「批判」は自分の考えが正しいかどうかを検証するという意味なのです。
だから、正しく批判できる子は、とりあえずやるし、考えるわけです。

大人だって、素直に取り組む人の方が成果が出ます。
やらない理由なんていくらでもつけられるけど、
人に意見を求めることもいくらでもできるけど、
とにかく、まずはやってみる。
だって、答えは自分しか知らないんだから。
他人に答えを求める人や、先に批判(間違った意味で)する人は、
成長しないし、何より幸せそうじゃない。

まとめ。私的結論。

「思考停止」の人って、軸が自分にない人なんだと思う。
軸っていうのは、自分の価値観や意志とも言えますね。
あっても自信がないから、人に答えてほしいんだと思う。
でも、それってすごくもったいない。
一度きりの人生を、人に委ねるなんて、ものすごくもったいない。

だから私は、自分の人生を自分の意志で選択していける子たちを育てたい。
「言われたから」ではなく「自分のために」取り組める子に。
文句を言うのではなく、批判的に考えて発言できる子になってほしい。

そのためにも。
まずは、私たち大人が、
自信をもって背中を見せられる存在でありたいですね。

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