プラッチックのスップンでお絵描き
なんかこう名詞をやたらくっきり意識して発音する人がいる。
これを文章で伝えるのは非常に難しい。
実際に言葉で話して伝える事も難しかろうと無意識に感じていたのか、これまでにこの違和感について誰かと話すことはなかった。
難しいので今ここで伝えるのも難しい。
例えば…
バンドというものを初めて知って、それは同時にビジュアル系との出会いでもあって、しかもそいつはそれに急激にハマったとする。
そいつはそれを「これは自分以外の誰も知らない楽しみだ」というように感じたとする。そいつが、
「あのねぇ、いやー、うんとねー、えへへぇ、そのね、ラクリマ・クリスティって知ってる?」
とニヤけながら友人に問う時の「ラクリマ・クリスティ」は、やけに角が立っていて一音一音確かめるようにくっきり発音し、かつねちっこさも感じさせる。
実際におれがそれを感じた一例を挙げておくと、幼稚園から一緒のヨッチーくんが…いや
待て、おれがこれを感じたのはほぼヨッチーファミリーからではないか…謎の逡巡。
いやアレだ、ヨッチーファミリーで初めてそれを感じただけだ。
「今日は○○時から仮面ライダーブラックがやるよ」
みたいな時。
ヨッチーくんの祖母は遊びにいくといつも
「もう宿題やった?」
と聞いてくるいけすかない祖母であったが、この祖母こそが総本山な気がする。
あ、そうだ、それで一つ思いついた。
「蚊に刺されたんならほれこの痒み止め塗っとき」
と言っても構わない時の、
「蚊に刺されたんならほれこのキンカンクールプラス塗っとき」
の、
「キンカンクールプラス」
がそれだ。
略したくなるような正式名称を全て発音してくる感じ。
そしてそれはつまり、かつての大阪人の感情を現在に伝えているのではないか?
「なんやこれ?木ぃとちゃうんけ?は?プラッチックいうんか?一回型作っとけばなんぼでもおんなじもんが作れるて?そらえらいもんやな、そんで軽くて水にも強い?ほーん、まあなんとなく知っとったけど!見るんは初めてやーいうて言いそうなとこやけど、うちとこでつこてるアレやソレはプラッチックいう事んなるな。ふーん名前聞いたんは初めてや!(あかん、こらおもろいもんを知ってもうた。早よみなに言うてまわらな!)」
という事が、プラッチックやスップンが大阪に伝わった頃にぎょーさんあったんちゃうやろか?あ、しまったうつった。
なんでしょうな、殊更にキャラクター性を付与するようなこの。
さて、お絵描き。
園児はやるけど大人はあんまりやらないものなーんだ?
というなぞなぞのようなこれ。
保育園の先生がチビっ子相手に話す時の感じ。
実は今回のテーマのその感じは思い切りこの感じと被る気がする。
このお絵描きという言い方はどうだろうか?
確かめ噛み締めネチ発音されがちなんじゃないの?
え?
どうなの?違うの?
さて、
ご本とかお外をとかいうように、保育士から園児に向けて射出される言葉には「御」が付きがち。
(ザマスとおビールの話は関連性が高いが置いておく)
だがしかし!
保育師がご本を本と言ってても、お外を外と言ってても特に違和感も問題も無いのに対し、お絵描きに関しては「理科」の「科」に匹敵する重要度で「お」が無くてはならない。
「さあみなさん、絵描きをしましょう♪」
こうなると、この保育師はちゃんと面接とか受けてこの仕事を始めたんだろうか?などと余計な勘繰りが発生してしまうだろう。
この場合の「お」は、特定の、狭義の、という意味合いを含んだ「お」なのである(え、マジで?)。
おっさんとオッサンではなんとなくニュアンスが違って、後者の方が獲物感が強まるようなもんだ(ああっ!!)。
味噌の汁。
これだと、エアコンの室外機のとこに
垂れてる水が丁度そこに落ちてた味噌と混ざっててもそれだ。
味噌汁。
これだとThe日本なあの料理。
だけど、字面だけでの説得力の弱さは否めない。
ブンガクの人らはミソシルをどう扱ってきたのだろう。
我が不勉強たる人生を呪う。
いやほらだからね、
「お味噌汁」
ってすると、急に匂いとか味とかを感じるでしょう?
マルコメとかマスヤとかの営業がニコニコしだすでしょう?
え?そうでもない?
もっとブンガクを読めよ。
とりあえず金田一春彦でもいい。
では、一つだけどうしても言っときたい事を書いて終わりにする。
「宿題?やってねーよ」