9.時には仮面を被って

 村長の家を後にしたリチャードは一軒の屋敷に案内された。アントニーが貴族の別荘と言っていた丘の上にある建物は、実のところは吸血鬼ケネスの根城であった。本当のことを言うわけにはいかなかったため、アントニーは当たり障りのない嘘で誤魔化したのだろう。

 一通り屋敷を案内されたあと、リチャードはケネスとともに夕食をとることになった。二人で囲むには広すぎる食堂に通され、席に付く。やや小ぶりなシャンデリアが見下ろす部屋の中央、リチャードとケネスが対面で座るテーブルは白いクロスが掛けられ、燭台が2つ載っていた。

 ケネスのそばには一匹のドーベルマンらしき犬が侍っており、リチャードの動向を瞳だけ動かして追っている。まず間違いなくあの犬も眷属だろう。特有の匂いを感じたリチャードはそう判断した。

 メイド服を着た女性二人がカートに食事とワインを載せて運んでくる。美しい所作で皿をテーブルに並べ、グラスにワインを注ぐ。準備が完了すると一礼し、音も立てずに退出していった。

 ケネスがグラスを眼前に掲げる。リチャードもそれに習った。

「では、同胞との出会いを祝して」

 ケネスは薄く笑い、リチャードと目を合わせる。

「「乾杯」」

 示し合わせたように二人の言葉が重なった。

 香りを嗅ぎ、赤紫の液体を口に含ませる。口内に広がる明るい香りが鼻を抜けていく。酸味、渋み、果実味が混ざり合い旨味として感じられた。

「美味しいですね」

 リチャードの反応に満足したように頷き、ケネスもグラスを傾ける。

「良い味でしょう? 村2つほど離れた場所に良い蔵がありましてな。わざわざ取り寄せているのですよ」

 もっとも、と多少口端を上げ、

「若い女の生き血には到底叶いませんがな」

 と吸血鬼特有のジョークを付け加えた。「確かに」とリチャードは曖昧に微笑んでみせる。

「リチャード殿はお一人で旅をしているのですかな? 眷属などはお作りにならない?」

 ナイフでステーキを切り分けながらケネスは訪ねる。リチャードはスープを口に運び、一口飲んで言葉を返した。

「気ままに旅をしたいもので。あまり足が重くなるものは持ちたくないのです」

「そうですか。風のように身軽に往きたいというわけですな。それにしても教会の狩人(ハンター)を装うとは奇特なことをなさいますなぁ?」

 ステーキの付け合わせの人参にフォークを突き刺し、わずかに値踏みするようにリチャードの表情を観察するケネス。柔らかく白いパンをちぎり、口に運びながらリチャードは言う。

「襲ってきたハンターを返り討ちにした時に頂いたものです。まさか教会の狩人ハンターが吸血鬼とは、誰も思わないでしょう?」

 ワインを飲み干し、ボトルから注ぎ足したケネスは笑みを深くした。

「然り。私のような同族でなければ見抜けはしないでしょうな。教会の間抜けな猟犬どもも自分たちの証を持ったヴァンパイアがいるなどとは思わんでしょう」

 大胆だが面白い手だ、とケネスはリチャードは褒める。

「ケネス殿も、村ひとつを眷属として手中に収める妙手、お見事です。私などには思いつきも出来ませんでした」

 リチャードが褒め返すとさすがに気分が良くなったのか、ケネスはやや得意げに鼻を鳴らした。

「これはこれで苦労もあるがね。上手く回っていれば旨味もある」

 その象徴のような豪勢な食に舌鼓を打ち、酒を食らう。人間の上流階級のごとき振る舞いは、おそらく村人の血と涙と汗を犠牲にしたものであろうとリチャードは理解している。しかし、彼はそれを糾弾しない。少なくとも今はまだ。

 彼らが会食を始めて30分ほど経った頃だろうか。食堂の扉をノックする音が響いた。

「む、もうそんな時間か。入れ」

 ケネスが失念していたといった風に入室の許しを出すと、メイドが一人、ドアを開けて一礼した。

「失礼します。アドルフォ様の餌の準備が出来ました」

「ああ、分かった。行きなさい、アドルフォ」

 ケネスがすぐそばに座るドーベルマン、アドルフォに命令する。アドルフォはすくりと立ち上がり、ゆったりとした足取りでメイドと共に退出していった。

 リチャードは嫌な予感を感じた。アドルフォの瞳のギラつきが、獲物を前にした吸血鬼と同様のものに見えたからだ。


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