短編小説【繰り返し、繰り返す・前編『彼の世界』】
「ねえ、今日って何月何日だっけ?」
「○月×日だよ」
六度目の質問に、僕は答える。
「そう」
さもつまらなそうにそう言って、彼女は人混みに紛れていった。
僕はそれを人の波に押されながら見守る。朝のホームには人が溢れていた。
彼女を初めて見かけたのは六日前。
通学する中高生や出勤途中のサラリーマンで溢れる駅のホームで、彼女は灰色の柱に寄りかかって目の前を通過する人々を眺めていた。
世の中の全てがつまらない、といった彼女の表情が気にかかり、なんとなく横目で見ているうちに、ふっと目が合った。
彼女はとても驚いた顔をして、ほんの少しだけ、嬉しそうに口元を緩める。
彼女の反応を不思議に思いながら、その日はいつも通りに学校へ行った。
翌日、電車のドアから押し出されるようにホームに降り立つと、灰色の柱の前に昨日見かけた彼女がいた。
またいる。
僕が彼女の方を向くと、彼女も僕に気がついた。
「ねえ、今日って何月何日だっけ?」
ざわざわと雑音が飛び交う朝の喧騒の中でも、何故か彼女の声は僕に届いた。
僕以外の人間は、彼女の声に反応を示さない。見向きもしない。
皆、自分のことで手一杯なのだろう。
それを思うと、無視するのは気が引けた。
「○月×日だよ」
僕の答えを聞いた彼女はどうしてか、
「……そう」
と、ちょっと残念そうに呟いて、寄りかかっていた柱から背中を離した。
そして、僕が使う出口と反対の出口へ流れる人の群れに紛れてしまった。
次の日も、その次の日も、彼女は僕に日付を尋ねた。
その都度、僕は律儀に答えを返した。
彼女とは、この時間のこの場所でしか接点がない。
このとても奇妙な関係を、僕は嫌なものとは思わなかった。
願わくば、もう少しだけ、この日々が続いて欲しいとさえ思っていた。
そして七度目の問答をした日。
学校の帰り道で、僕は彼女に会った。
人のほとんどいない、夕暮れの道。
何の変哲もない民家と、さして特徴もない公園に挟まれた、実になんてことのない道に、彼女は当たり前のように立っていた。
すぐ傍まで近付いて僕はようやく彼女のことに気が付き、びっくりして立ち止まった。
「こんにちは」
思いがけない出来事に、僕の頭は上手く働かない。
「お別れを言おうと思って」
驚く僕に、彼女はそう切り出した。
「お別れ?」
ちくりと心臓の辺りが痛む。しかし、それよりも気になることがあった。
朝すれ違うだけの僕にわざわざお別れを言いに来たのか? 何故?
「うん。なんだかんだで長い付き合いになったし、一応言っとこうかなって」
「……意味が、分からないんだけど」
何を言っているんだろう。
長い付き合いだって?
たった一週間、僅かな言葉を交わしただけだというのに?
「ねえ、今日って何月何日だっけ?」
困惑する僕の反応を楽しむように、悪戯っぽく彼女は言った。
「○月×日、だけど……」
半ば条件反射で答えを返す。
このやり取りももう終わりなのか、とぼんやりと考えた。
「25回目」
「えっ?」
「この質問も、この答えも、もう25回目」
突拍子もない言葉に何も言えず、僕は押し黙る。
「分からない?」
分からないよ。
心の中で答えるも、声にはならなかった。
「そう……」
とても悲しそうに、とても残念そうに、彼女は呟き、俯いた。
それから僕に背を向けて、
「バイバイ」
別れの言葉を落としていった。
オレンジ色に染められた彼女の後ろ姿を、僕はただ突っ立って見送った。
何がなんだか分からなかった。
けれど、もう彼女と会うことはないんだと、それだけははっきりと理解していた。
ああ、また明日から、いつも通りの日常が続いていくのだ。
じわりと、景色が滲んでいった。