エピローグ 終(つい)の街・丘の上の家へ
少女は門を見上げていました。
町の入り口の、大きくて重そうな鉄の門です。開かれた扉を、様々な格好の人たちが通りすぎていきます。
「本当に、ここまででいいのか?」
少女の隣りで、女性騎士が尋ねます。
「うん。送ってくれて、ありがとう」
少女は頷き、お礼を言って、町の入り口へ足を向けました。
ころころと車輪を転がし、棺桶を後ろに連れ歩く小さな背中を、女性騎士はただ静かに見送ります。
旅の終わり。終着点に、少女はいま辿り着いたのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
旅人や町人で溢れる大通りは露店が連なり、賑やかな活気に満ち溢れていました。
「いらっしゃいいらっしゃい! 新鮮な野菜がたくさんあるよ! とれたてだよ!」
「あら、美味しそうなお野菜ね。今夜のシチューに使おうかしら」
「それなら、このタマネギなんかおススメだね。シチューの甘みがぐーんと増すよ」
「やぁ旦那。最近どうだい?」
「はっはっは。まあ、おかげさまでね。すこぶるいいよ」
「へぇ、そりゃすごい! 一体どんな商売をなさったんで?」
「いやそれがね……」
大通りを通り抜けた少女は、キャンディを売ってくれた露店の主のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
石造りの民家に挟まれた小道には、穏やかな時間が流れていました。上を見上げれば、窓から窓に渡された、たくさんのロープと洗濯物が、そよ風に揺れています。
「なあ、ばあさん。俺のシャツがどっかに飛んでいっちまったよ」
「あらまあ大変! すぐに拾ってきてちょうだいな」
「……俺が行くのかい?」
「当たり前でしょう。干さなきゃいけない服がまだこんなに残っているんだもの」
民家から漏れてくる会話を聞きながら、少女は親切な老夫婦のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
アコーディオンの音色が響く、緑溢れる広場では、中央に据えられた噴水が瑞々しい空気を生み出していました。
「さあてお立会い! 見事このリンゴを射止められましたらば拍手喝采!」
「アルストラは言いました。『あなたが真の勇者であるならば、何を恐れることがあろうか』と」
「なあ、ちょいと。もっと楽しい気分になる曲はないもんかね?」
「楽しい気分ですか? では、この曲をお聞かせしましょう」
天幕を持たないサーカス団や吟遊詩人、旅の演奏家が雑多な音を奏でる広場を横目に、少女はサーカス団にいた、ナイフ投げの娘のことを思い出していました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
職人たちの工房が立ち並ぶ職人通りは、凛と張り詰めた雰囲気を保っていました。荷車から手際よく積み荷を降ろす男衆。石段に座り込み、一服している職人たち。
店先では、気難しい顔をした職人が、客らしき人物となにやら話し込んでいました。
「なんとか明後日までに仕上げられないかね」
「そらぁ無理ってもんですよお客さん」
「いつもの倍出すといっても、駄目かね?」
「金でどうこうはなりませんて。こっちゃ万年人手不足なんだから」
こーん、こーん、という小気味よい木槌の音を聞くと、少女は車輪を作ってくれた木工屋のことを思い出すのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
夜は大賑わいの酒場通り。しかし、日の高い今は閑散としています。道に置かれたテーブルや椅子、立て看板も、どこか寂しそうでした。通りを歩いていて見かけるのは、店の表をせっせと掃除する女性や、安物の鎧を来た傭兵。
「あ~ぁ、暇だねぇ~。なぁ、そこのお姉ちゃん。お相手してくれねえかな」
「お生憎さま。あたしは店の準備で忙しいの。さ、どいたどいた」
「客なんていねえじゃねえか」
「お客さんがいなくても仕事は山ほどあるのよ。あなたと違ってね」
「少しくらいサボったっていいだろ?」
「ちょっと。道塞がないでよ」
「おい、そこ。何を揉めてるんだ」
「あっ、騎士さま! お助けください!」
「おいおい、待ってくれよ。俺は何も悪いことしてないぞ」
そして、見回りの騎士くらいです。
騎士を間に挟み、声高に言い争う二人の脇を通り過ぎた少女は、傭兵に扮した盗賊たちと、心優しい女性騎士のことを思い出していました。
棺桶を連れて少女は歩きます。
町の反対側まで歩いた少女は、小高い丘の麓に立っていました。丘の頂上へ伸びる一本道を登り、辿り着いたのは一軒の民家です。
レンガ塀に囲まれた家の庭に、少女は足を踏み入れました。
荒れた庭の真ん中で立ち止まった少女は、ドレスの首元に手を入れ、服の中に隠れていた首飾りを引っ張り出します。首飾りには、装飾のない、シンプルな造りの鍵が付いていました。
取り外した首飾りをてのひらに乗せ、棺桶をその場に残し、少女は木造りの質素な建物に近づきました。
錆びた金属のドア飾りが付けられた、木製の扉の前に立った少女は、持っていた鍵を鍵穴に差し込みます。
開いた扉をそのままに、少女は家の中へ入っていきました。
やがて、少しの間を置いて、少女は再び顔を出しました。真っ赤な液体の入った小瓶を胸に抱え、小走りで棺桶の元に向かいます。少女は棺桶のそばにぺたりと座り、棺桶の蓋を開きました。
小瓶のコルク栓を抜き、中に入った赤い液体を、眠る青年の口元へ垂らします。
そうしてしばらく待つと、青年がうっすらと目を開きました。
重たそうに頭を持ち上げ、体を起こした青年は、眠そうな瞳を少女に向けて、穏やかな声で言いました。
「……おはよう」
青年の言葉を耳にした少女は、目に溜めた涙を拭い、満面の笑みを返します。
「おはよう、ねぼすけさん」
花が咲いたような笑顔でした。
手を繋ぎ、家の中に入っていく二人の背を、遠くで見送る者がいました。
町の前で少女と別れたはずの、女性騎士でした。
「心配は無用だったな」
傍らに立つ馬の首筋を撫でながら、二人の消えた扉の向こうを見つめて女性騎士は呟きます。しばらくの間、その場に佇んでいた女性騎士は、
「行こうか」
愛馬に柔らかく語りかけ、踵を返しました。
相棒とともに丘を下り始めた女性騎士は、ふと足を止めて振り返り、
「ちゃんと笑えるじゃないか」
少女の花咲く笑顔を目を閉じて思い浮かべ、嬉しそうに口元を緩めたのでした。
丘の上の庭では、役目を終えた棺桶を、穏やかな午後の陽射しが暖めていました。