12.背徳的な飲み物
「リチャード殿は運がいい」
二階奥の錠のある部屋の前で、鍵を開けるのを待つわずかな間にケネスは言った。
「若い女など、村の連中が連れてくることは滅多にないのだから」
吸血鬼には男よりも女、老人よりも若者の血が好まれる。若く健康な女性の血はご馳走と言っても良かった。
「それは光栄ですね」
と無難な答えを返し、リチャードは多くを語らない。
結局、彼は誘われるままに血を飲むことにした。それがケネスの望む一種の儀式、踏み絵のようなものに思えたからだ。下手に断って角を立てては今後動きづらくなると考えたのだった。
メイドが錠前を外し、扉の鍵を開ける。ドアを開いて一歩下がると、ケネスはご苦労とひと声かけて室内に足を踏み入れる。リチャードもそれに続いた。
部屋の内装はリチャードが使用している客室と変わりない。小さめのテーブルがあり、ソファがあり、壁際には文机が置かれている。窓は薄青色のカーテンで隠され、鏡や女性の肖像画が壁に飾られていた。
そして人が二人は寝そべることが出来る天蓋付きのベッド。そこにはケネスの言う通り若い女性が静かに寝息を立てている。夜も深い時刻、普通の人間ならば眠っていて然るべき時間だ。
メイドが布に覆われたカートを運び込み扉を閉める。ケネスはベッドに近づき、冗談めかして言った。
「眠り姫の邪魔をするのは少々気が引けるが、友のためだ。許していただこうか」
眠っている女性の頬を優しく撫でる。違和感を感じたのか、女性の眉がしかめられ、やがてゆっくりと彼女は瞼を開けた。寝ぼけていた眼が焦点を結び、目の前の人物を映し出すと共に女性の顔色が青ざめていく。金縛りにあったように恐怖に目を見開き、額にはうっすらと汗をかいていた。
「お目覚めかな、レディ? 起こして悪かったね」
必要以上に粘着質な声音で囁き、ケネスは女性と目を合わせる。そして一転、はっきりとした口調で命令した。
『眠れ』
途端に女性が白目をむき、卒倒したかのように意識を手放した。吸血鬼の特殊能力である催眠術だ。瞳を通じて作用する強力な効果で、意思の強い者や訓練された者以外には覿面の効き目を見せる。これで彼女は数時間の間、大抵のことでは起きないだろう。
女性を抱え上げ、ソファに座らせたケネスは彼女の前腕を持ち上げてメイドに目配せした。メイドはケネスのそばに寄るとカートに被せていた布を取る。華奢なナイフがひとつとグラスがふたつ、それと治療の道具が載せられていた。
「このまま首筋にかぶり付いてもいいのだがね。客人もいることだし上品な方法を取るとしよう」
グラスを手に取ったケネスはそれを女性の手首の下あたりに固定する。メイドがナイフを持ち、女性の手首に躊躇いなく刃を立てた。傷口から血が滴り落ち、グラスに注がれていく。そうしてグラス二杯分の血液を貯めるとケネスはリチャードに向き直った。
手当をしておけとメイドに命じ、グラスをリチャードに差し出す。鮮血に満たされた杯を受け取り、リチャードはケネスの言葉を待った。
「乾杯だ、同士よ」
「ええ、深き夜に乾杯」
共にグラスを掲げたのち、赤い液体を口に入れる。砂糖よりも甘く、ほのかに渋く酸っぱい、どんな美酒よりも官能的な血の味わい。快い余韻が口内を満たしていく。とても罪深い味だ、とリチャードは思った。
「これを思う存分飲めれば、と思わずにはいられんね」
「同感です。しかし残念ながらそうもいかないのでしょう?」
「その通りだ」
長く血を飲み続けるためには捕らえた人間を殺すわけにはいかない。必然、一度に飲める血の量には限界がある。少量を回数を分けて飲むしかない。はたして彼女は何度血を抜かれたのだろうか。リチャードは手当てを施される女性を一瞥した。
「ケネス殿、ひとつお願いがあるのですが」
「何かな?」
空になったグラスをカートに戻し、リチャードは居住まいを正した。ケネスは杯を持ったままリチャードに怪訝そうな瞳を向ける。
「あの女性を譲ってはくれませんか?」
「ほう?」
ケネスは意外そうに目を瞬かせた。今まで控えめな態度をとっていたリチャードにしては大胆な物言いだ。驚くのも無理はない。
「彼女をどうするつもりかね?」
治療が終わり、メイドによってベッドに寝かせられる女性に目を向け、グラスを口元にもっていくケネス。
「私も吸血鬼。ならばやることはひとつです。違いますか?」
質問に質問で返すリチャード。もっと血を飲みたい。それも量を加減せずに。暗にそう示した彼に対し、ケネスはさも悩んでいるように顔を俯かせ顎を撫でた。
「なるほどなるほど。リチャード殿は相当に乾いているご様子。私としても貴公の願いを叶えて差し上げるのはやぶさかではない。……しかし、貴重な生き血ですからなぁ」
これ見よがしに渋ってみせるケネスに、リチャードは懐から取り出した指輪を握らせる。
「代わりといってはなんですが、これを」
高価そうな宝石が設えられた指輪を品定めしたケネスは満足そうに頷いた。
「いいでしょう。そこまでお望みならば。差し上げますよ、彼女を」
「ありがとうございます」
頭を下げたリチャードの表情は、言葉とは裏腹にまったく嬉しそうではなかったが、それを知るのは当人のみだった。