21.血が裁く

「私を殺す……?」

 名指しで殺害予告を受けたケネスは、しかし徐々に平静を取り戻していった。

「ふん、こいつらに情でも湧いたか? 私と敵対して貴様に何の得があるというのだ」

 村人たちを顎で指し、ケネスは理解できないといった様子で肩をすくめる。

「損得の問題ではない。貴様は人の尊厳を弄んだ。必要のない傷を与え、痛めつけ、踏みにじった。それは許してはならない罪だ」

 リチャードが一歩前に出た。途端、言い知れない凄みのようなものが滲み出てきて、何故か彼が一回りも二回りも大きくなった気がする。

「罪だと? 力ある者がなき者を従えて何が悪い!? それに、いくら痛めつけたところで私の血のおかげで傷は癒える。死にはせんのだからいいではないか!」

 知らず、ケネスの額に汗が浮かぶ。出てくる言葉も言い訳がましく感じてしまう。

(なんだ? なぜ私はこんなにも焦っているのだ? この男に恐怖しているとでもいうのか……!?)

 信じられぬ感情だった。あってはならないとさえ思う。自分は支配者だ。力なき人間を支配し、同胞にも一目置かれるほどの実力者。恐れるものなどないはずだ。なのに……。

「体は治っても心に受けた傷は残る。死なずとも痛みは感じる。そして繰り返せば心が死ぬ」

 なぜだ。

「長く痛みから離れてそんなことも忘れたか?」

 なぜこれほどまでにこの男の瞳が恐ろしい!?

「こっ、殺せ! こいつを今すぐ殺すのだ!」

 切羽詰まった声で唾を飛ばし、眷属に命令する。彼女は足に溜めていた力を開放し、矢のように鋭くリチャードに迫った。そして手刀を心臓めがけて突き出す。

 吸血鬼の弱点は心臓だ。首を斬られても頭を潰されても死なない吸血鬼だが、心臓を大きく破壊されると死に至る。

 眷属メイドの腕はリチャードの胸板を貫き、吸血鬼の急所を潰した。

「……ハ、ハハッ! 偉そうなことを言った割に大したことのない――」

 かに見えた。

 背中まで貫通した細腕は、添えられたリチャードの手によってわずかに軌道を逸らされていた。それでも肺には確実に大穴が空いている。尋常の痛みではないはずだ。その証拠にリチャードの口からは血がごぼりと溢れ出た。

「チッ」

 舌打ちをして腕を抜いたメイドが今度こそ心臓を破壊しようとするが、今まで目の前にいたリチャードが視界から消え、驚愕する。ケネスは見ていた。一瞬で彼女の背後に移動したリチャードを。

 まだ胸の傷は再生途中だ。吸血鬼といえど、あれほどの負傷をして高速で動くのは難しいはずなのに。

 敵を見失って狼狽しているメイドの背をリチャードの手が抉る。後ろだと警告する間もなかった。骨を砕き心臓を潰したその一撃によって、メイドは声もなく灰になった。

「痛みを感じないのか……!?」

 思わず零してしまった呻きに反応してリチャードがこちらを見る。氷のような眼差しに心臓を鷲掴みにされる思いだった。

「感じないわけがない。だが彼らが受けた痛みを思えば、これくらい。耐えてみせるさ」

 予想のできない展開に呆気に取られている村人たちにちらと視線をやり、こともなげにリチャードは言った。

「さて、心の準備をしろ、ケネス・オルブルーム。彼らに代わって貴様に死をくれてやる」

 口の中に残った血を唾とともに吐き出す。リチャードは今まで表に出さないように抑えていた怒りを殺気として放ちながら、努めて平常心を保つように意識していた。どんなに腹が立っても頭は冷やせ。養母の言葉だ。

 胸に空いた穴は既に塞がり、苦しかった呼吸も大分楽になった。息を吸うと若草と血液の匂いが鼻腔を刺激する。

「くそ、舐めるなよ!」

 ケネスは長剣を鞘から素早く引き抜き構えた。焦燥に駆られた顔は歪み、余裕の欠片も見当たらない。

 リチャードは少し意外に思った。身を翻して逃げるかと思ったが、存外プライドが高かったようだ。いや、まだ己が死ぬという想像ができないだけか。

 リチャードは手のひらを胸の前に持ってきた。すると、地面を濡らしていた村人たちの血が重力に逆らって持ち上がり、リチャードの手のひらに集まり始める。

 ケネスは目を見張り、目に見えて狼狽えた。

「他者の血を操るだと!? そんな、馬鹿な……!」

 自身の血液を操る力を持った吸血鬼は存在する。しかし、他者の血を操作する吸血鬼は自分以外に会ったことがなかった。他人から分離した血液しか操ることはできないが、わざわざ説明してやる義理もない。

 リチャードの手には赤く艶のない一振りのロングソードが生まれていた。それを握り、切っ先をケネスに向ける。

「虐げられた者たちの血が貴様を裁く。さあ、かかってこい」
「ふざけるなああああ!!」

 ケネスは雄叫びを上げてリチャードに肉薄する。力任せに頭から唐竹割りにしようと長剣が振り下ろされる。

 リチャードは轟音を伴って迫る鋼の刃に合わせるように紅の剣を振り上げた。たったそれだけでケネスの剣は折れ砕け、力負けしたケネスは数歩後ずさることになった。

 追撃にリチャードは袈裟斬りを繰り出す。体勢を崩していたケネスはなんとかして身を捻って躱そうとした。倒れ込むようにして心臓への攻撃は回避したが、代わりにケネスの手首が切断されてぼとりと落ちる。

「ぎぃああああ! 腕が! 私の腕がぁ!」

 みっともなく悲鳴を上げて転がりながら、ケネスは自分の手首を拾い上げる。切断面を合わせるとさすがの回復力で手首と腕は繋がった。

 リチャードはケネスの顔の横に剣を突き刺す。

「思い出したか? それが痛みだ。お前が今まで無造作に他者に与えていたものだ」
「ヒ、ヒィィ……!」

 顔面を蒼白にし、引きつったか弱い声を漏らし、ケネスはとにかくリチャードから離れようとする。

「おい、どこ行くんだよ」

 そんな彼の前に立ちふさがる者がいた。

「これだけやっておいてまさか逃げるつもりじゃないだろうな?」

 傷だらけでボロボロになってもなお、怒りを燃やしているデリックだった。彼は斧を片手にケネスを睨みつける。

「貴様っ! どけ! 私はこんなところで死んではならんのだ!」

 この期に及んで居丈高に命令するケネスに「死んではならないだと?」と眉を釣り上げるデリック。

「違うだろうが! 素直に死にたくないって言えよ!」
「ぬぉっ!」

 頭をかち割らんと振り下ろされる斧をすんでのところで避け、ケネスは尻もちを付いた。村人たちを圧倒していた時の動きは微塵も感じられない。間近に迫った死の恐怖に足はもつれ、呼吸も荒くなっている。

 ゆっくりと近づいてくるデリックとリチャードを交互に見、何か打開策はないかと探している彼が見つけたのは事の成り行きを見守っている村人たちだった。

「お、お前たち、この二人を止めろ! 私が死んだらお前たちも道連れなんだぞ!」

 泡を飛ばして村人たちに叫ぶケネスだが、誰一人として動くことも口を開くことさえなかった。諦めと僅かな安堵を讃えた瞳でケネスを見つめている。

「彼らの覚悟は既に見たはずだ。お前を助ける者はいない」

 無慈悲に宣告するリチャードがケネスの心臓に剣の切っ先を添える。ケネスは情けない悲鳴を上げて立ち上がり逃げようとするが、地面の凹凸に足を取られて転倒した。

「いやだぁ……。死にたくない。た、助けてくれぇ……」

 少しでもその場を離れようと這っていくケネスの背を踏みつけ、リチャードは後ろを振り返った。デリックとエルシーがこちらを見ている。

 目が合うと、二人はやや驚いたように息を呑み、やがて少しだけ寂しそうに微笑んで頷いた。

 リチャードは逆手に持った剣でケネスの心臓を貫く。かっ、と短い声を出し、ケネスは脱力する。その体が緑色の炎に包まれ灰と化していった。

 村人たちの体も静かに燃え上がり、さらさらと砂のように崩れていく。目を伏せ受け入れるもの、僅かに後悔の念を表すもの、涙を流しへたり込むものなどその様子は様々だった。

『ありがとう』

 誰かがそう呟いた気がして、リチャードの胸がちくりと痛んだ。

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