自分の言葉で綴ることの大変さと大切さ
最近、仕事場で、「担当の(お年寄り)利用者家族に対し、写真付きで手書きの手紙を書いて下さい」という仕事がありました。(注:僕の仕事場は介護施設です)
その手紙が、なんとも書きにくかった。
介護施設の職員にとって、「利用者の家族」というのは、なんとも気を遣わなければいけない存在です。こういう人への手紙はなんとも書きにくく、出来ればテンプレート文・お手本のような例文があればそれを使ってしまいたくなります。
というのは、見本文があれば、それに倣い、自分が考える作業は少なくて済みます。1からひねり出すとなると大変な労力です。
これは僕に限った話ではなく、これを読んでくれている読者さんも、似たような思いを抱かれた事があるのではないでしょうか。
僕も最初、ネットで適当な「例文・お手本文」を探し出して、やり過ごそうと思っていました。
でも、ここが葛藤というか分かれ目で、お手本文では気持ちが十分には伝わらないのです。自分の感じた思いが。
かといって「自分で全部を書くのは自信ないし、自分の馬鹿さがばれるような気がして、書けないなぁ…」そういう気持ちは誰しも持つと思います。(よほど達筆なひとではない限り)
しかし…しかし…
やはり自分の言葉で書いたほうがいい。もしこれを読んでいるのが若い人であればあるほど、その葛藤に打ち勝って、自分の言葉で書く訓練をしてみてほしい。自分の言葉ではないと、うまく自分の呼吸に会わないし、リズムよく書く事はできません。
僕の好きなミスチルの曲の歌詞に「悩んだ末に出た答えなら15点だとしても正しい」(引用:center of universe)というのがあります。まさに、自分の言葉で、上手く書けなくてもいいから、本当にうまく書けなくてもいいから、自分の言葉で、言葉を紡いでいってほしい。
ほら、『スラムダンク』の桜木花道も、自分の下手なシュートフォームと向き合って、上手くなっていったじゃないですか。自分の人生も、自分のダメさ加減も、それを出していくことで、周囲に認められたり改善していけるものだと思うんです。
「ことば」ってやっぱり大事だと思うから(人生においても)皆さんに「自分のことば」を持ってほしいです。
最後まで読んでくれて、ありがとう