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フォローありがとう&俳優になりたかった頃の話

このnoteに、フォローを付けて下さる方ができました。本当にありがとうございます。すごく、すごーく嬉しいです。

今日はせっかくなので、蔵出しの話でも(笑)

正直、恥ずかしい過去すぎて、奥さん以外には話したことのない話です。

僕は高校生の頃、「俳優」になりたいと思っていました。

きっかけは、色々だとは思いますが、特にテレビの織田裕二さんが好きでした。

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織田裕二さんが出ているドラマの、『振り返れば奴がいる』や『お金がない!』などが好きで、よく観ていたのを覚えています。

漠然と僕も俳優になりたいと思い立ち、とりあえず僕は大阪の「劇団東俳」のレッスンへ通うようになります。(新聞の広告でたまたまあった所です…)

高3の4月頃から、8月頃まで通ったと思いますが、学校との両立が苦しくなり、結局この東俳へは通わなくなります。

でも「俳優になりたい」とは密かに思っており、僕は東京に行こうと決意します。大阪から、東京の大学に行こうと思ったら、よっぽど良い大学じゃないと親も行かせてくれない、と僕は考えます。(関西の大学でいいじゃん、となるので)

こうして僕は、早稲田大学受験を決意します。

流れ的に言うと、

俳優になりたい→東京に行かないと→早稲田にでもいかなきゃ

という流れです(笑)

目標が決まった僕は、一心不乱に勉強し、1浪の末、早稲田大学に合格。

東京での生活を始めます。

「やっと俳優の勉強ができる」僕はそう思い、なにか適当な事務所に履歴書を送ったり、またレッスン費用を払って、レッスンさせてくれる俳優養成事務所に通ったりします。

雑誌『オーディション』という映画や演劇のオーディション情報が載っている雑誌を買い、オーディションを探したりしました。

そこで目についた、ある大きめの映画のオーディション。

僕は応募し、そのオーディションに行ってみました。

オーディション内容は、あるセリフ(比較的短めのセリフ)を覚えて、その内容に沿って演技をする、というものでした。

当然ながら僕も一生懸命そのセリフを覚えて臨んだはずですが…テスト本番、僕は一言も発せず、審査員がテストを止めて、僕のオーディションは終わりました。

これには、僕もショックを受け、「僕は極度に緊張すると何もしゃべれなくなるんだな、人前で」ということを痛感しました。もともとおしゃべりな方ではないですが、緊張しない状況、友達との会話、学校などでの会話では話すことができます。「大舞台・プレッシャーに弱い」ということを痛感し、僕は俳優になるのを諦めました。


…以上、僕の黒歴史でした。なんだか黒歴史が多くて、いつ白歴史になるんでしょうね?!

それはさておき、フォローありがとうございました。これからもおもしろい話を書けるよう、精進していきます。

最後まで読んでくれて、ありがとう