【ぬこにゃん】の生い立ちシリーズ2
こんにちは。
人間1👩・猫3😽🐱😺と暮らしている【ぬこにゃん】です👩
昔を懐かしむ、
過ぎし日を思い起こす。
そんな
【ぬこにゃん】の生い立ちシリーズ2
をお送りします。
今回は
・幼少期
・引っ越し先
・登校
・火傷
・小学校
です。
お楽しみ頂けましたら幸いです。
【幼少期~小学生時代】part2
◆幼少期
私が生まれたのは、叔父(母の弟)の家。
母の実家ですね。
ここで、小学1か2年(あいまいな記憶(笑))まで、過ごします。
戦時中の疎開からず~っと叔父の家に厄介になっていました。
いとこ達(4人)と兄弟のように育ちました。
叔母さん(叔父のお嫁さん)にとっては、
とてつもなくやりにくい生活だっただろうな~って今なら思える。
だって、厳しいと評判の姑(祖母:確かに厳しかった)に、
小姑一家(私たち家族)と衣食住一緒なんだから、
私だったら、さっさと実家に帰って「離婚だ~!」とか言ってると思う。
叔母さんは、いい人でいとこ達と同じように育ててくれました。
(親がいるんだから育ててくれたはないかもしれんが)
私といとこ達との歳の差は、
私が小学1年時、いとこ上から、6年5年3年幼稚園だった。
私の兄妹は、3人。
長兄と11歳、次兄と9歳 離れている。
だから、兄たちと遊んだことが無い。
兄にそのことを言うと
「遊んでた俺の背中で小便したのは誰だ。」と言う。
[それって遊んで貰ってた訳じゃない!」
「子守してただけじゃない。」
と言うと、いつも笑ってごまかされていたな。
ある時の夏、いとこたちと叔母(母の妹)の家へ遊びに行った。
そこにもいとこが3人いて、大体同じ位の歳。
叔母の家は、ふもとの町を越えて川も越えた向こうの山の中腹にあった。
どんな遊びをしたのか覚えてないし、多分一泊したんだと思う。
次の日の帰り道の事も覚えてない。
ただ、気が付いたら家に居て布団の中。
頭の下には水枕、額には濡れた手ぬぐい。
後から聞いたところによると、日射病に掛かってたらしい。
そして、うわ言に「梅干」「梅干」といってたらしい。
その時から、熱を出したり、体が悪くて寝込んだりしたら
祖母が必ず、「梅干」を持ってきてくれた。
おかゆに梅干が定番の病人食となった。
私だけのですが・・・
叔父の家は、山の中。と言うより「山の上」
てっぺんに近いところにあった。
そこには、「かぶうち」と言うか
同じ苗字の家が3軒と他に2軒あり
同じ苗字3軒は、本家(叔父家)、分家、遠縁で、
それぞれに同じくらいの子供たちがいた。
分家は叔父のいとこだったので、分家の子たちは、ハトコになる。
遊ぶのは、この面々。
鬼ごっこ、かくれんぼ、など人数が必要な遊びには、
この面子だった。
コマ回し、ビー玉、ぱった(めんこ)、ひょうたんとり、
おしくらまんじゅう、とびうま缶蹴り・・・・・
いろんな遊びをしてた。
仲間達と遊ぶのは、楽しいけど、
しょっちゅう集まって遊べるわけでもない。
いつも一緒に遊んでたのは、従妹。
柿の木の枝と枝に縄を巻いてもらい、
ハンモック代わりにしたり、
ブランコを作って貰ったり、、、、、
遊び場所は、大人が仕事をしているところ。
畑とか田んぼ。
タンポポが咲いていたら茎を笛にして「ピーピー」鳴らしたり。
枇杷の木に登り、枝を滑って降りる。
花や草を摘んで遊んでた。
幼かったので、親たちのそばで過ごしてた様に思う。
◆引っ越し先
小学1,2年位の時に違う村へ引っ越した。
山を二つ程越えた村。
そこでも山の上の家だった。
結構な広い敷地で、神主さんの家だった。
家守りとして貸してもらってたらしい。
幼かったのでよくわからん。
母屋と部屋と呼ばれる二階建ての家と
蔵が二棟に、牛小屋兼納屋(牛は居なかった)
母屋の四部屋(平屋)のうち、二部屋を借りていた。
庭に面して左側の部屋(前の間)とその奥の部屋(居間)。
庭に面して右側の部屋(奥の間)とその奥の間(次の間)は使用禁止。
奥の間には、大きな神棚が設置してあり、
時々、父がお供え物をあげに入っていた。
「入ってはいけない」と言われていたけど、
掃除や窓を開けて風を通さなきゃ朽ちてしまうから、
母がやっていたのだろうと思う。
私だけが「入ってはいけない」だった。
前の間には、長兄が、居間には両親と私。
次兄の居るところが無い!という事で、
玄関わきの物置?を三畳位の部屋に変更した。
父は大工なのであっという間に部屋が出来上がってた。
その当時、長兄高3、次兄高1 だったのかな。
部屋(「ひや」と言ってた別棟)が建ってる際に山桜の木があった。
その木の近くに井戸があり、
お風呂の水はそこからくみ上げて運んだ。
兄たちがいなくなってからは、私の仕事だった。
兄たちは、死んだわけじゃないよ。
それぞれ、就職をして家から出て行ったから。
あっ!長兄はしばらく、、、って言うか
結婚して出ていくまで家に居たわ。
影薄うWWW
家の前は竹藪、庭から2,3m下だった。
庭の端には椿、寒椿や山茶花が植えてあった。
花の咲く頃に赤や白赤混じった花を咲かせてた。
きんもくせい、モクレン、ボケの花もあった。
家の裏は、1.5m~2mの石垣で
石垣の上に蔵が建ってた。
家と石垣の間には、ドクダミは生えていて、
母は、ドクダミの葉を乾燥させて、
何かの薬だと蓄えていた。
熱を出した時なんかに、飲まされてたのかな?
良く覚えてないが、母は良くドクダミの葉を摘んでた。
母屋の左手にも蔵がたっていた。
母屋裏の蔵と同じくらいの高さがあったのと
同じ位の位置だったので、この蔵迄はスロープになっていた。
蔵と庭の中程に金木犀、スロープの始まり位の端っこに
ボケの花が植えてあった。
金木犀は、大きな木で花が咲く頃には、
周囲に金木犀の匂いを巻き散らしていた。
私はこの匂いが苦手で、花が咲いている間中、
金木犀の木の中に居た。
1人で庭で遊ぶ時は、いつもそうだった。
金木犀の中に入ってしまえば、
この匂いを気にすることもない。
強烈な匂いで、嗅覚が麻痺して仕舞うんだろうか?
不思議です。
母屋の裏口の左手に、お風呂を沸かす焚口があり
少し離れた場所に、薪を入れておく小屋があった。
母屋とその小屋との間に、
モクレンと良く知らない木が植えてあり、
花の咲き時は紫(モクレン)と小さな黄色い花をさかせていた。
薪小屋の前には、部屋(二階建ての立派な建物)があり
付随して便所(トイレ)があった。
この家の唯一の便所で、母屋から、7~8m離れている。
夜中に行きたくなったら、寝てる母を起こして付いて来てもらっていた。
夜、真っ暗のトイレへ行くのは、勇気がいった。
トイレの明かりは点きますよ。
でも、夜の月明かりだけでは、怖いです。
なにせ真っ暗の中、懐中電灯を持っていくか、
走って行くかのどちらかだったですからね。
そのトイレの少し先に、山桜が小道の際に生えていた。
ある時、桜の実が「サクランボ」で、甘くておいしい物だ
と聞いて、この山桜の実を食べてみた。
小っちゃくて種ばかりの実。
「どこがおいしいんだ!!」と思ってしまった。
「さくらんぼ」を食べる人の気が知れない
とず~と思っていたが、桜の木が違った。
アハハハ!大笑いである!!
今では我が家の庭には「サクランボ」の木があり
「さくらんぼ」が実る(笑)
この山桜の前には、細い小道があり
途中で下に降りて行く道と登り坂に分かれる。
登り坂は緩やかで、行き先はお隣さん家。
下り坂は、畑や飲み水の湧いている井戸へつながる道。
井戸から少し下がると、村の道、大通りに出る。
この井戸は、飲み水なので、
家の水瓶に水がなくなりかけたら、此処から汲んでくる。
前と後ろに振り分けた、振り分け天秤で、水を担いで上がる。
この水汲みが、一番大変な仕事だった。
井戸の近くに畑を借りていて、じゃがいも、
人参等の野菜を作っていた。
母屋の裏の蔵近くにも、小さな畑があって、
この畑でも母は、野菜を作っていた。
イチゴも作っていて、収穫時は摘んでは食べ、食べては摘む。
と言う、「いちご狩り」状態になる。
私だけが・・・
この畑の端の方に、ぐいびの木があり
実が熟す頃は、近所の子供たちが集まってくる。
ぐいびの木は、生えてきたのか植えていたのか
わかないけど、村のあちこちにあった。
畑のわきには、蕗が生えており、
母が良く蕗をポキポキ折って筋を取っていた。
今夜のおかずになるんだな~と思ってみていた。
「あんな苦い物、良く食えるよ」と思ってた子供時代。
今では良く食卓に上がる一品だ~(笑)
◆登校
小学校へ通うのに時間が短くなった。
20~30分くらいになったかな。
その代わり、一緒に通う子が少なくなった。
まあ、子供だから遊びながら登校するのに変わりはない。
人が少なくなっても、遊びは変わらない。
木の芽の芽吹き時は、水たまりに松の新芽をもいで入れる。
すると、虹の様なきれいな模様ができる。
おなじ模様は出来ないから、
あっちこっちで同じ事して歓声を上げる。
上級性は、そんな遊びは無視して、
さっさと歩いていくので、
気づいた子が、「待って!!」と走る。
みんなもついて走る。
通学時間は短くなっても、
学校に着く時間は変わらなかった。
つつじが咲くころは、
花の蜜を吸い(二番咲きの花の密です)
松の落ち葉を集め丸くして、ボールの様投げ上げて
遊びながらの帰宅。
帰りは、ほとんど一人だった。
石を蹴りながらケンケンパをやったり、
学校で借りた本を読みながらだったり
トンボや蝶々を追っかけたりと、
気ままにのんびり帰ってた。
そんなある日、家について庭に入ろうとして
大声上げて回れ右!
裏口から家に入った。
何故かって?!
家の門に当たる入口に
太~い丸太の様なものが横に長く伸びてた。
真っすぐじゃなくて、にょろにょろと。
もう、びっくりしゃっくりクリックりだ。
大~きな蛇。多分アオダイショウ。
それからは、
どんな時も表から入らず裏口からの帰宅だった。
最近は蛇を見ることが無いけど、
あの頃は、道に堂々と出てきてた。
普通の蛇なら、まだいい。可愛いから。
男の子たちは、蛇のしっぽをもって振り回して遊んでたよ~。
あの茶色いまだら模様の蛇にだけは,会いたくない。
ましては、とぐろを巻いて首を上げ、
じっと見ているところなんかに出合いたくない。
一度だけ、出会ったことがあるよ。
まさに、とぐろ巻いてた。
何もしないでじ~っとしてたら、
そろそろととぐろを解いて、にょろにょろと
草むらに消えてくれたから助かった。
其の点、青大将や、カラス蛇は、咬まれても毒はないしね。
皆、「マムシ」にだけは気を付けてたね。
今でもそうか~。
青大将は、家に附いてるって言われてた。
兄が鳥かごで飼ってたメジロを食べられた事がある。
お腹が大きくなると動きが遅くなるのね。
鳥を食べた後は、ゆっくりと鳥篭から出て行ってた。
いもりは水辺、ヤモリは家を守るのだから殺すな。
朝の蜘蛛も殺すんじゃない!
青大将も、遊び道具にするな!
と、言われて育った。
山の中に住んでいたら、いろんなことがある。
外で遊んでて「蟻」に咬まれた。
寝ていて「ムカデ」に顎を咬まれてた。
家に飛び込んで来た「蛾」の粉にかぶれた。
虻(アブ)に刺された。。。。。
ゆえに、山でのキャンプは大っ嫌いです(笑)
◆火傷
小学3年の頃、給食当番で、やかんを運んでいた時、
段差につまずいて転んでしまい、
やかんの熱湯被ってしまいて火傷した。
その日、家に帰ったら長兄が居て
(なぜその時間に居たのかわからん)
すぐに自転車で、ふもとの町の病院へ連れて行ってくれた。
自転車の後ろで兄にしがみついていたのを思い出す。
なにせ、山のてっぺんからふもとまで、
自転車を飛ばしたのだから、怖くなかった訳がない!!
(引っ越し先も山のてっぺん)
兄は、毎日同じように自転車飛ばして、
駅に行ってたんだろうから、何とも無かったんだろうけどね。
その頃、兄は社会人だったのかな?
11歳も離れてると良く分かんない。
妹を可愛がってくれていたんだと思うけど、
給料日?だったのかは分からないけど、
「りぼん」と言う少女雑誌を良く買って来てくれた。
兄が、どんなふうに暮らしていたのか、
同じ家に居たのに、ほとんど覚えて居ない。
なんて薄情な妹だ~!!!
火傷の後は、しばらく残っていたけど、
いつの間にか消えていた。
◆小学校
図書室で本を読むのが好きだった。
「シャーロックホームズ」が好きだった。
ワトソン君と事件を解決してゆく。
あの頃、のめり込んでた様な気がする。
なぜか「まだらな紐」?だったか、
あらすじは、全然覚えてないんだけど引っ掛かっている。
読めなくて、卒業したのかもしれない。
母校の小学校は、大人になっても夢によく出てきました。
なぜかよく見ましたね。
運動場を囲みコの字に校舎が建ってました。
運動場から見て、正面の石垣の上に1,3,4,5年生の教室。
一段下がって6年生の教室、
理科室家庭科室図書室(ここが曖昧)、職員室、校長室。
右手の石垣の上に講堂兼体育館
左手は、幼稚園と2年生の教室。
1年の教室から幼稚園の教室迄は、
緩いスロープになっていた。
幼稚園と2年生の教室前に鉄棒。
1年と幼稚園の間にブランコがあった。
理科室、家庭科室、図書室・・・
6年生の教室から職員室迄の間に、
二部屋しかなかったように思うので
理科室と家庭科室が一緒だったのかな?
よく覚えてない。
職員室の入り口横に購買室、
その前を進んで突き当りにコンクリートでできた水槽があり
その中は、サンショウウオが住んでた。
この水槽の左手に行くと給食センターじゃなくて、
給食を作る建物がありました。
水槽の右手は、宿直室、宿直室の横には階段があり、上ると講堂。
講堂には、ピアノが置いてあった。
音楽の授業はここでしてた記憶がある。
休み時間(10分程度)に跳び箱を「
何段飛べるか」の競争をしてたのを思い出す。
今の学校には、宿直室なんてないけど、
あのころは先生方が交代で泊まってた。
男性の先生だけだったよう・・・・かな?
理科室には、テレビがあって、
当時の皇太子さまと美智子さまの
ご成婚の議をこのテレビで見た。
理科室に全児童は入れなかったから、
多分、四年生以上と先生方が集まって暗幕を下ろして観てたと思う。
全児童100名足らずの小さな学校でした。
夢によく出て来てたのが、5年と6年の教室をつなぐ階段。
階段下は通路で、その通路を通って6年生の教室に入る靴箱がある。
5年生の教室には、運動場側から入る靴箱があって階段を上る。
階段を上がってそのまま真っ直ぐ行くと、
トイレ(と言うほどしゃれたものではない。便所だ)があった。
便所掃除・・・嫌だったな~。
女子用;和式のぽっとんトイレ。
男子用;コンクリートで作った浅い溝の様な高低差のある物。
そういえば、時折夢に出てた。
入って用を足したいんだけど
入りたくない!みたいな夢。
最悪!!
そのトイレから少し離れた所に、
プール(みたいな物)があった。
確か、水泳の授業をする為に、
プールを作るようお達しがあって、
わざわざ、作ったんだと思う。
一度だけ、プールの掃除をした事がある。
プールと言っても、畳8畳~12畳位の小さな物。
掃除はしてなかったのだと思う。
ず~と落ち葉が水底に溜まっていたから。
階段を上がって5年か4年生の教室。
並んだ机といす。五列程で7席位ある。
ある時は窓際の席、
ある時は黒板前の席、
または一番後ろの席。
何をしたかったのか、、、、、、、
夢である。
でも、机といすの並んだ教室。
私の同級生 私を含め12名。
机といすの席が並ぶほど人数が居ない。
おかしな夢だ。
山のてっぺんにあった小学校。
良く晴れた日には、重なった山波の向こうに
瀬戸内の海がキラキラ輝いて見えてた。
綺麗で好きだった。
何年か前に、小学校が取り壊されて更地になってるって聞いて、
従妹たちと見に行った。
本当に何にもなくて、石垣がポツンとしてた。
それ以来、夢を見なくなったように思う。
なぜだろう???
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