日本人の由来である「三重構造モデル」について
購読しているメルマガに日本人の由来である「三重構造モデル」に関する言及があり興味をもったのでコラムにしてみました。
はじめに
日本人の祖先はどのように形成されたのでしょうか。歴史学や考古学、人類学など多方面の学問が連携することで、近年は「日本人の起源」についてより多くの情報がわかってきました。その中でも有力な説の一つが「三重構造モデル」と呼ばれるものです。これは、日本列島に複数回にわたって人々が渡来し、その集団同士が長い期間を経て融合していった結果、現代の日本人が形成されたという考え方を示しています。本コラムでは、この三重構造モデルをなるべくわかりやすく説明します。
三重構造モデルとは
「三重構造モデル」とは、日本人の祖先集団が大きく三つの時代・波によってもたらされたことを示す説です。ざっくり言うと下記のように区分されます。
1. 縄文時代の先住民(旧石器時代から定住した人々)
– 約1万数千年以上前から日本列島で独自の文化を築き上げていた人々。
– 土器や石器、漁労などの文化を発展させ、特有の身体的特徴(顔立ちなど)を持っていたとされます。
2. 弥生時代の渡来人
– 紀元前後ごろに大陸(朝鮮半島や中国大陸)から稲作をはじめとする新しい農耕技術・金属器文化などをもたらした集団。
– 当時、日本列島の人口が急激に増え、縄文時代とは異なる集落や生活様式が広まった背景には、この弥生人の到来が大きく影響したといわれます。
3. 古墳時代以降の渡来人
– 弥生時代の後期から古墳時代にかけて、再び大陸から技術者・工人・支配層など様々な集団が渡来。
– 馬や鉄の製造技術、文字文化などを伝え、ヤマト政権の政治的統合の形成に深く関わったと考えられています。
この三段階の流れが重層的に合わさっていった結果、私たちが現在「日本人」と呼ぶ集団が出来上がった、というのが三重構造モデルの大まかなイメージです。
なぜ三重構造なのか
以前は「二重構造モデル」という説が一般的でした。これは、縄文人と弥生人の二つの主な流れだけで日本人が形成されたという見方です。ところが近年のDNA研究や考古学の新発見によって、どうやら弥生時代後にも大陸から新たな集団が大きく渡来し、日本列島の文化や人々の遺伝的特徴に影響を与えた可能性が高まっています。そこで第三の波を加味した「三重構造モデル」が注目を集めるようになりました。
遺伝子からわかること
三重構造モデルは考古学的発掘や文献史料だけでなく、近年はゲノム解析によっても一定の裏付けがされつつあります。具体的には、現代の日本人が持つDNAの一部は、縄文系・弥生系・それ以降の渡来系(古墳~中世)に共通点を見いだせるという研究結果が報告されています。もちろん細かい遺伝子変異や地域差など不明点はまだ多いですが、複数回の移住・融合の可能性を支持するデータが蓄積されているのです。
日々アップデートされる学説
ただし、人類史の研究は絶えず新たな発見が生まれ、学説も修正を繰り返す世界です。さらに地域ごと(東北・九州・沖縄など)に人々の系譜は異なる部分があり、「三重構造」以外にも多様な視点・補足説明が必要とされるケースがあります。今後の考古学研究やゲノム解析が進むにつれ、より詳細な日本人の起源像が描かれていくでしょう。
まとめ
三重構造モデルは、日本列島に複数回渡来してきた人々が長い年月をかけて混ざり合うことで形成された、という日本人の起源を示す考え方です。縄文から弥生への転換期の文化やその後の古墳時代以降の多様な渡来人による影響が、現代の日本社会・文化の基礎を築いたというわけです。最新の科学的知見や考古学的証拠によって常に新しい情報がもたらされる分野なので、今後も日本人のルーツをめぐる研究の動向に注目してみてはいかがでしょうか。