40代をいきるために始めたこと。
26歳の時に起業し、走り抜けた10年。
充実した日々、多くの人との交わり、多様な経験値を得た一方で
本来なら経験する必要のない代償の数々もあったように思う。
人と違うことを望み、選択していく日々は
時に、人としての正常さを失っていくのかもしれない。
今思うと、30代後半はすっかり疲弊していた。
体力も限界だったのだろう。
そうなると精神の方もまったくついてこない。
とても辛かった。
そのタイミングで、ありがたいことに第一子を授かった。
なぜか男の子だと信じて疑わない私だったが
近所の神社でひいたおみくじにはお産のところに『女児』とあった。
本当に、その通りになった。
一旦、経営者の道という荒波の中をつき進むのは一区切りし
しっかりと子供とむきあっていきたいと思った。
あらためて自分自身ともむきあう時間が欲しかった。
そんな時、一冊の本に出合う。
この本との出会いがなければ、今の私はなかったし
新たな目標を持とうとすら思えなかったかもしれない。
* * *
『できる40代は、「これ」しかやらない』(大塚寿著)
そこに書かれてあったのはこんなことだ。
・40代は多忙な時期。
・「目先の仕事を必死にこなしているうちに、いつの間にか40代が終わっており、気がついたら何も成し遂げられていなかった」という後悔。
・そして、50代60代が口を揃えて言うこと「若いうちに勉強しておけばよかった・・・」
仕事ではある程度の立場につき、責任が伴うことも多い。
やれることは増えたが、2、30代の時の仕事のやり方と違うやり方をしていかなければ仕事は減らないし、こなせない。
これからの人生で「手に入れたいもの」「やり遂げたいこと」「何を大切にして生きていきたいか」といった『これからの人生で何をするか』を絞り込み、時間を無駄にしないこと。
限りある時間で、最大限の成果を得る「大人の学び方」を身につけること。
結局のところ「これ」とは何か?
人によって違うのだ。
これまで生きてきた中での経験、積み上げられてきた知識、そこからくる自分にとっての、これからの人生で「手に入れたいもの」「やり遂げたいこと」「何を大切にして生きていきたいか」といった、「これ」の対象となるものを自分自身が気づかなければならない。
この本には、自分にとっての「これ」を見極めるためのきっかけがちりばめてあって、40代頃に多くの人が置かれているような状況をいくつか例に取り上げ、思考の整理を促してくれる。
読み終わる頃にはおそらくは、読者にとっての「これ」を見つけられるのではないだろうか。私はそうだった。
* * *
多分、私は40代に対する恐れが強かったのだと思う。
経営者として成功したいとがむしゃらだった時は、常に目標設定と計画化を行って、自分がどこに向かっていくべきかを明確にして行動するようにしていた。だから今自分がどこにいるのかがわかりやすかったし、どこに向かえばいいのかもわかっていた。
経営者としての道を退くとその必要性があまりない生活となり、ただ漠然と生きていた。もちろん、平穏無事に暮らすせることは何にも代え難い素晴らしいことだ。欲張ってはいけない。
もう経営者には戻れないと思っていた。勇気も出ない。アイディアもわかない。攻めより守りだ。いまのままで、ありのままで、と。
今が一番幸せなのだと言い聞かせた。その結果、未来がまったく見えなくなってしまった。
私はきっと、未来がどうなるかを考えることが好きだったのだろう。
理想の未来を夢見て、その実現に向けて行動を起こすことがあたりまえだった日々とはまるで違う毎日になった。
むしろ、未来をみようとしないことは私にとっては恐怖だった。
そして、39歳のおわりの頃にこの本に出会った。
そうだ、勉強しよう。
わたしにとっての「これ」は学び続けることだった。
忙しいを言い訳にしないように、勉強をする時間をつくる努力をしよう。
小さな一つ一つの積み重ねがいつか大きな未来をつくるから、どこにつながるかわからなくても、いつかはどこかにたどり着くと信じて。
Happy Birthday to me !
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