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恋すてふ

恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思いそめしか

恋をしているという私の噂が、もう立ってしまった。人知れず、あの人のことを想いはじめたばかりなのに。

壬生忠見の歌です。

村上天皇時代の天徳内裏歌合で詠まれた20番お題「恋」。
歌合(うたあわせ)なので、対する人・歌があります。

しのぶれど 色に出りけり わが恋は
物や思ふと 人の問ふまで

人には知られないよう忍んできたけれど、私の恋心は、顔に出てしまっていたようだ。
「何か恋のお悩みごとですか」と人から問われてしまうほどに。

平兼盛の歌です。

岡野玲子さんの『陰陽師』でも描かれた天徳内裏歌合。(ちなみに岡野玲子さんは手塚治虫先生の息子さんの奥さまです)。
歌合なので判定者がいたのですが、どちらの歌も甲乙付け難く、悩んでいたところ、村上天皇が「しのぶれど…」と呟いたことから、兼盛の勝ちとされたと言われています。
とても美しく、丁寧に細かく描写されているので、ご興味のある方は、岡野玲子さんの『陰陽師』、読んでみてください。何巻だったかは忘れてしまいました、ごめんなさい。


この二つの歌を知ったのは高校生の頃でした。

「恋」のお題で、「恋すてふ(すちょう)」と、恋の言葉から入った歌だったため、粋ではないと取られて、忠見の歌は敗れた、という説もあります。
でも、私は、「恋すてふ」のほうが、なにか、どこか、良いなと思うのです。
「しのぶれど」も、良いな、と思うんですが、なんでだろうなぁ、「恋すてふ」に惹かれてしまう。
ほんとうに優劣はつけられない。どちらも素晴らしいんだもの。
これは人によって、受け取り方も響き方も違うと思うので、お好きなほうの歌を口ずさんでみてください。
「恋」って、素敵。
「歌」って、素敵。
なんて表現豊かなんだろう。

『陰陽師』では、歌合で敗れた壬生忠見は、ショックのあまり悶死してしまいます。
その忠見を、源博雅の言葉が癒し、慰め、浄化して、忠見の魂は救われていきます。美しいシーンなので是非見ていただきたいです。


「恋すてふ」、「しのぶれど」、どちらの歌も、百人一首に選ばれています。

百人一首で好きなお歌は、「わが衣手に 雪はふりつつ」かなぁ。光孝天皇のお歌。

君がため 春の野に出て 若菜つむ
わが衣手に 雪はふりつつ

あなたのために、春の野に出て、若菜を摘んでいます。その私の衣に、雪が降ってきています。

あなたのため、という表現。
そこには押し付けがましいところが微塵もなく、ただ純粋に、一途に、若菜を摘んでいる姿に心打たれます。
雪が降っているなか、寒いだろうに。
でも、雪だからって止めようとはしていないんですよね。
雪のなか、無心で、若菜を摘む。その姿は、言い表しようがないほどの『温かさ』を私たちにもたらしてくれます。


またまた好きなお歌は、

君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな

昔のお貴族さまって、今の時代みたいに自由に男女が逢えたわけじゃないんですよね。
通い婚なので。
お姫さま(お嬢さま)はお屋敷の奥深くにいて、世の男性たちは、「あそこのお嬢さまはお美しいらしい」とか「お琴がお上手らしい」とか、噂を頼りに胸躍らせ、想像を膨らませて、想いを募らせるわけです。
何度も何度も文やお歌を送り、逢えたとしても御簾越しで、お顔は見えないし、言葉は女房(お屋敷勤め・お姫さま付きの女官)越し。
文を送り、通い詰め、ひたすら口説いて、或いは近くの女房をお金で言いくるめて、既成事実を作って(確か正式には、3日くらい連続で通ってお餅食べるんだよね)、世間的にお披露目となり、夫婦になる。女性の家に、お婿さんに入る形ですね。

想いを膨らませてお逢いした結果、「アレ?」ってなっちゃったのが、『源氏物語』の『末摘花』です。(すごい簡単に、略してお話しています。でも、光君はスーパーマメ男なので、ちゃんと末摘花の面倒をみました。)

通い婚なので、通ってくるかどうかは男性次第。
男性の足取りが遠のいてしまうケースもあります。一夫多妻制なので、ほかの女性のところへも行ってしまうのです。
当時の移動手段は牛車(ぎっしゃ)で、男性の車が立ち寄ってくれるよう、女性は屋敷の入り口付近に盛り塩をしました。牛が塩分を求めて塩を舐めるのに立ち止まることで、男性が自分の存在を思い出して逢ってくれるようにと願ったのです。
現代の飲食店などが盛り塩をしているのは、そこから来ていたりします。(今はどっちかっていうと、風水的な考え方由来の方が多いかもです)。

で、再び先程のお歌に戻るのですが、藤原義孝のお歌。

君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな

あなたのためなら死んでも惜しくはないと思っていたこの命だけど、お逢いしてからは、長生きしたいと思うようになりました。

実際に逢ってみたら、もっと好きになって、長く一緒にいたい、時を過ごしたいと思うようになった。

男性からこんなこと言われたら、幸せですね。

こうして見てみると、時代が変わろうと、生活様式が変わろうと、昔も今も、『人のこころ』は同じなんだなぁと感じます。
素朴で素直で大らかで。
ひとは、なんにも変わってない。
その『変わらなさ』が、なんだかとても愛しい。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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