【ビフォー アフター】
【たった一つの出来事によって価値は変わる。】
昨夜、弊社で製作・配給を行った映画「すずしい木陰」は満席でした。公開4日目、上映期間途中での「最終日」と判断した日の出来事でもありました。
まだ「コロナ」という名称すら知らない時期に、4月4日公開と決まったこの新作映画は、弊社にとっては初の【製作・宣伝・配給業務】の一切を自社のみで行った映画でした。
通常、多くの制作プロダクションは「作る」ことに特化していて、宣伝・配給業務までを行うことは珍しいです。この「分業制」という考え方は撮影現場でも同じで、プロデューサー、監督、脚本、撮影、特機、照明、録音、美術、装飾、メイク、衣小、演出、制作、車輌、編集、VFX、音響効果、整音、音楽、俳優などなど、各部署がそれぞれの専門で、その業務に特化し制作をしていくのが映画製作です。
それと同様に、映画を完成させることまでを「制作プロダクション」、その完成した映画を宣伝し配給(お客様に届ける作業)を行うのが「宣伝・配給会社」となっています。(詳しくはもっと説明すべきところはありますし、様々な製作体制の作品があるのでこれに限ったことではないですが、ここでは大枠のみ書きます。)
弊社もこれまで多くの作品を「制作プロダクション」として引き受け、完成させてきました。
ただボクは、この人生を選択した時に思っていたことがあります。
それは、自分たちで「作りたい映画」を企画し、それを製作、そしてお客様に届ける事までを、一貫して自分たちで行うことが出来ないのかと。
いや、分業することで大きな力を生むことは、これまで現場を経験してきて重々に理解してますし、その方がいいとも思っています。今後もそうやって映画を作り続けるつもりです。
ですが、もし、自分たちの手の届くような小さなモノなのだとしたら、関わる人間を最小限にすることで「濃く強い意図」を届けられるのではないか?とも思うのです。
そしてその行動を少しづつではあるが実践していこうと思い、初めて試みた作品が「すずしい木陰」です。
とは言っても、この映画は守屋文雄監督の内側から生み出されたものだし、実際の制作においても守屋監督の旗印のもとで完成した映画なので、弊社が行ったことといえばそっと後ろからサポートしただけなのですが、今回の映画に関しては、まずは今まで全くやったことがない「宣伝・配給を行う」ということへの挑戦でもありました。
その宣伝作業は、これまでに使ったことのない脳みそをフル稼働して、あーでもないこーでもないと、とにかくやってみるとして、ラジオ番組や生ライブ配信、ゲリライベントなどを行ってみたり、とにかくあっという間に時間は過ぎました。
そして、映画「すずしい木陰」は公開初日を満席で迎えることが出来ました。
もう一度書きます。
【たった一つの出来事によって価値は変わる。】
自社で製作・配給を行った映画が満員だった。これほど嬉しいことってあるのでしょうか?
でも、今、”STAY HOME” と世界が呼びかけている中、映画を公開することすら非常識な行為であるということも認識しています。
ただ、もし、もし、一瞬だけでも、今世界で起きている事を無視することが許されるのであれば、大声で「劇場にお越し頂き誠にありがとうございました」と叫び、喜びたかったのです。
きっと、これからもっとコロナ以前、コロナ以降という考えや感情、価値観が変わることになると思います。
でもボクは自分たちで製作した映画をみなさまの元に届けられた時の喜びの感情だけは、何かに影響されることなく、本質として持ち続けていたいと思っています。
そしてその想いを貫き、自社製作・配給の映画を、一作品づつじっくりと生み出せていけたらと思っております。
映画「すずしい木陰」は、一旦上映を中止します。
世界が落ち着きまた健やかな日々が戻って来たとき、絶対に再開させますので、その際には是非とも劇場にお越し下さい。みなさまと劇場でお会い出来ることを楽しみにしております。