【コギトの本棚・エッセイ】 「知的財産」
先日、家人が携帯を見ながら、何気なく、ほんとに、何気なく、
「ふーん、谷崎って、今年、著作権切れるんだー」と、つぶやい
ていた。
あまりの何気なさに、思わず「あー、そうなんだー」とか、さえ
ない返事をしたが、ちょっと考えて、「え゛ーーー」となった。
いわゆる、『パブリックドメイン』というやつになるわけである。
著作権については、自分も一応言葉の著作物を作っている以上、
無関心ではいられない。が、ちょっと調べるだけでも、所有権だ
の人格権だの、頒布権だの、いろいろな権利名が乱舞して、なん
だかややこしい。何がどうなっているのやら、法律家でもない限
り、いまいち理解しづらい。
まあ、一応、『パブリックドメイン』というものだけに関してざ
っくり言えば、「著作者死後50年経つと、その著作物は公有と
なる」ということらしい。
すごく乱暴な言い方をすれば、タダで読めるようになるというこ
とだ。
「ヒャッホー、スゲエぜ、タダだ、タダだ」と反射的に思ったけ
ど、いやいやいや、タダで読めるってことは、別にすごいことじ
ゃない。
だって、僕たちは、読もうと思えば、読めるじゃないか。図書館
で、タダで。
それでも、やっぱり『パブリックドメイン』というものに僕は興
奮してしまう。なぜなんだろう。
それは、まさしく『公有』という言葉に表われてると思う。
ごくごく個人的な感覚なのかもしれないけど、たとえば、なんで
もいいや、今、ベストセラーになってる小説、又吉直樹さんの
『火花』という小説と、スタンダールの小説を並べて思い浮かべ
た時、両者に接する時の僕たちの態度は、決定的に違うと思う。
それは、どっちが文学的に価値が高いかっていう話なんかじゃ、
全然なくて、僕たちは、もう、当たり前に、無意識に、『火花』
は又吉さんのもの、スタンダールは「僕ら」のものと、感じてる
んじゃないだろうか。
たとえば、その違いは、お金を払う時の態度にだって表われる。
『火花』も『赤と黒』も、図書館で借りてきて、タダで読める。
けれど、両方とも、買う時は買う。ただ『火花』を買う時は、な
んというか、又吉さんにお金を払っている。(それを証拠に、今
話題の少年Aさんの本について、人は、『印税の行方』なんてい
うお金の話をしたがるんだと思う)
方や『赤と黒』を買う時は、より資料にアクセスしやすい状況を
造るために、自分に投資している感じだと思う。よもやスタンダ
ールさんにお金を払うという感覚などありはしまい。
僕たちは、もう、無意識に、『パブリックドメイン』という考え
方が身についているのかもしれない。
そして、僕は、幼少のころ慣れ親しみ、耽溺し、人格にまで影響
を及ぼしたと言っても過言ではない谷崎が、いよいよみんなもの
になるんだっていうことに、どうやら、興奮しているんだと思う。
「みんなのものになる」というのは、実はもっといろいろな可能
性を秘めていると思う。
世の中には、いろいろな理由で、人々の目に触れられない作品と
いうものがある。
当たり前だけど、出版社は、売れない作品は増刷しないわけだし、
著作権者の行方がわからないという場合には(これが結構あるら
しい)、その作品は世に出ることが出来ない。けれど、「公有」
になれば、そういう「お金が絡むややこしい事情」を全部取っ払
って、みんなが作品にアクセスできるようになるわけだ。
でもちょっと待てよ、公有、公有っていうけど、リアルに埋もれ
た作品にアクセスするには、結局、図書館なり、その作品を所有
する人に借りなきゃ読めないじゃん。
いや、でも、今はネットがある。
僕はネット信奉者でもなんでもない。むしろ、ネットによって、
人間の劣情が加速してるなぁとも思ったりしてる。けれど、方や、
使いようによっては、人間の知的好奇心を高いレベルで満たすこ
とが、ネットにはできる。
マイケル・ハートさんという人がいた。電子書籍の発明者だ。彼
は、『プロジェクト・グーテンベルグ』という名で、『パブリッ
クドメイン』になった著作を電子化し始めた人である。『プロジ
ェクト・グーテンベルグ』の開始はなんと1971年! インタ
ーネット元年と言われる1995年に先駆けること、24年も前
のことだった。
知的財産を皆で共有する、なんてすばらしいことなんだ。そして
ネットはそんな素晴らしいことに大いに寄与していると思う。
と、書いているけど、でも、かなり危うい話をしてるのかもしれ
ない。
『著作権』をめぐっては、大きなお金が動くだけに、ひどくナイ
ーブな印象がなくもない。
『パブリックドメイン』ということとは、少し話題が違うかもし
れないけど、先日来、話題になっている「アップルミュージック」
や「ラインミュージック」などの定額音楽配信サービスには、異
を唱えているミュージシャンもたくさんいるとか。どうやら、C
Dに比べ、配信で得られる印税が余りにも少ないらしい。ちなみ
に、アーティストに支払われる印税だが、CDアルバム一枚で、
およそ110円。配信の場合は、一視聴0.1円ほどだという。
さて、高いか安いか、どちらだろう。
これも、いわゆる『著作権』にまつわるややこしい話の一つだ。
僕は一応、自分の書いたシナリオの著作権者となっている。そし
て、その著作にまつわる環境がかなり劣悪なことも肌身をもって
体験している。
そんな自分のおかれている状況を差し引いても、作者にはその作
品の価値に比例した対価が支払われるべきだと強く思う。(その
価値をどう測るべきかは、僕にはわからないけど)、そうしなけ
れば、作品を創る人々が文字通り死んでしまいかねない。
けれど、同時に作品はみんなの財産でもあると思う。もし、子供
の頃から、そういう知的財産に接してこなかったら、と思うとぞ
っとする。だから、できれば、著作はできるだけ世の中に広く開
かれるべきであり、そんなとてもよい財産から恩恵をもらってき
た僕たちは、反対によい著作を生み出す作者が多く生まれる環境
を整備することで、恩返ししなくちゃいけないと思うんだが、ど
うだろうか。
いながききよたか【Archive】2015.07.09