『箱男と、ベルリンへ行く。』(十七)
『ベルリン休暇』(2)
ベルリン・ユダヤ博物館を出て、おそらく正午あたり。お腹は減っていたものの、どこかレストランを見繕って、優雅にランチ、という気分でもなく、時間ももったいなぁと感じ、すぐに次なる場所へ向かいます。
おりしも月曜日、ベルリンの、いや、世の美術館は軒並み休み、(美術館月曜休みってのは世界共通なのかしら)、通りがかりにいくつもギャラリーがありますが、そこも軒並み休み、でも、調べて見ると、都合良いことに、ユダヤ博物館から程近くの『ベルリン・ギャラリー』という美術館が開館しています。もうこうなったら行くしかないべ。どんな美術館なのかあまり調べもせず赴いたのですが、結果的にこれが大当たりでした。
ひとまず、『ベルリン・ギャラリー』の概要に触れておきましょう。
同美術館は、1975年に設立されたそうです。とても新しい美術館ですね。設立時のコンセプトは「ベルリン」で制作された美術、ぱっと聞くと「ふーん」と思い過ごしてしまいそうですが、よく考えてみると、とても面白い。だって、仮に、東京ギャラリーというものがあって、「東京」で制作された美術を集めるというコンセプトの美術館があったら面白そうじゃないですか。
設立後数年間は、拠点となる場所はなく、オフィスがあるのみ、時折国立美術館を借りたりして展覧会をしていたそう。その後、動物園通りに居を構え、そのさらに後、我々が初日に訪れた『グロピウス・バウ』に移転したといいます。しかし、資金難のためそこも立ち退かなくてはならなくなり、再び「家」をなくします。そしてようやく、2004年に、私が赴いた場所、クロイツベルクに美術館としてオープンしたとのこと。いわば流浪の美術館。
内容としては、主に19世紀末から現代までのベルリンと関わりのあるファインアート、ペインティング、写真、建築関連などの作品が収められているそう。
つまり、ドイツにおける現代美術の潮流が一望できるという感じですかね。
特に、私は、いわゆる戦間期のドイツ・ベルリンの美術はどういうものか興味があったので、それらが垣間見られたのは幸せでした。私は全く知らなかったのですが、ドイツも、アメリカやフランスと同様、第一次大戦後から世界恐慌の間の数年間、いわゆる『狂騒の20年代』にあたる時代、『黄金の20年代』と呼ばれる時期があったと言います。
少々、意外でした。勉強不足ですね。第一次大戦敗戦がドイツにもたらした多額の負債とハイパーインフレなどなどがナチスを用意した、というよりも、ハイパーインフレなどから立ち直りかけた時におこった世界恐慌がナチスを用意したという理解が正解なのでしょうか。
ようは、(第一次大)戦後、ワイマール共和国が行った経済改革政策はとても成功したが、敗戦による賠償は、世界で唯一賠償を免れたアメリカに頼らねばならなかった。しかし、当のアメリカが大恐慌に陥る。それがドイツを破滅させ、ナチスをお膳立てした、ということなのでしょう。
いずれにせよ、この戦間期の黄金時代に、私は、別の未来があったのかもしれないと予想させる興味深い時期です。その時代に、ベルリンでどんな芸術活動が行われていたのか。
それが、ベルリン・ギャラリーでは見られるというのです。
小雨の中、ユダヤ博物館を出て、ベルリン・ギャラリーを目指します。両者の距離は徒歩でものの5分くらい。
意外にこぢんまりした建物です。
入るとまず、Nasan Turというアーティストの作品がお出迎え。
次は、『SuperFuture』という企画グループ展です。
さらに、Hans Uhlmannという彫刻家・建築家の展示。同作家は、日本ではまったく馴染みがありませんが、ベルリンにおいては、非常に重要な作家であるらしいことが見て取れます。そして、極めて網羅的な展示になっていました。覚えておいて損はない作家です。
そして、常設展。『Art in Berlin 1880-1980』。まじで気合いが入っていて、ここを回れば近代から現代にかけてベルリンにおける美術活動の流れが鳥瞰できるほど。
ここまで、印象派から表現主義を経て1920年代、抽象絵画にいたるベルリンにおける絵画の流れを追ってみました。
1980年代までは、まだまだあるので、次回も、是非、見ていってください。
(もはや、タイトル関係ない気もしなくもないですが、これが私のベルリン行なので、最後まで仁義を通すつもりで、あと少し、がんばります)
(つづく)
(いながききよたか)