【コギトの本棚・エッセイ】 「東西南北」


みなさんは、方角を示す時、どうしてますか? 方角を示す方法
に、地域差があると知ったときには驚きました。

上京したての頃のことです。
たまたまタクシーに、乗った時の事、
「どちらまで?」という運転手さんに、
「とりあえず、東へ向かってください」と答えました。
すると、運転手さんは、
「東?」と、明らかに怪訝な顔をしたのです。
きっと新米なのでしょう。「わかんないかなぁ、だから、東だよ」
なんて目くじら立てても仕方ありません。
ひとまず「渋谷方向に走らせてください」と、言い直すと、運転
手さんは、今度は納得したらしく、ゆるゆると車を走らせ始めま
した。

話は変わりますが、僕は、これでも結構道を尋ねられる方です。
一日に三度道を聞かれた時は、さすがに辟易したものですが、ま
あ、とにかく、とあるおばあちゃんに、「ここへ行くにはどうし
たらいいですか?」と道を聞かれた時の事、僕は「この道を西へ
行って、二本目の大きな通りを北にまがって、三本目の角です」
と答えました。
しかし、おばあちゃんはまったく要領を得ない様子です。
道に迷うくらいですから、きっと、かなりの方向音痴だったんで
しょう。

こんな話を関東出身の知人にしたところ、「当り前だ」と、言わ
れました。
なにもタクシーの運転手さんが新米だったわけではなく、おばあ
ちゃんが極度の方向音痴だったわけでもなく、東京では、任意の
場所を東西南北では示さないというだけだったのです。

じゃあ、どうやって方向を伝えるんでしょうか。
関東出身の知人たちに聞いたところ、『地名と通りの名と左右で』
というのです。
でも、ちょっと待ってくださいと、僕は言いたいのです。

確かに、東京の道は特殊ですよね。一説には徳川時代、敵に攻め
込まれた時に備え、敵さんが東に進んでいたと思いきやいつのま
にか北や南を向くように、わざと曲がりくねったややこしい道を
作ったとかなんとか。事実、皇居を中心に、環状線が何本も走り、
放射状に幹線道路が伸びているという作りです。
それは別にいいんです。問題は、通りの名前です。
上京して10年以上、いまだに東京の道路事情には混乱させられ
ます。
甲州街道と新宿通りと青梅街道の関係性って、結局、どうなって
るんでしょうか?
世田谷通りが津久井道になり、やがて鶴川街道になる? おなじ
道なのに?
246号線と大山街道と玉川通りと青山通りの関係性って複雑じ
ゃないですか?
こんな具合に、東京の道のややこしさには怒りを覚えることさえ
あります。
とにかく恣意的過ぎてコンセンサスがとりづら過ぎるんですよね。
途中で通り名が変わるなんてざらだし、国道が交差点を境に曲が
っていて、そのまままっすぐ行くと、別の国道にすり替わってる、
なんてこともしばしば。
こんな状態に加えて、さらに道案内を、『地名と通り名と左右』
に任せておくのは、危険極まりありませんよ。だって、根本的な
通り名の価値がぐらぐらなんですから。

だいたい道案内をされるとき、一番腹が立つのが、『○○の看板
を左』というやつです。
看板の寿命、短いですから。ころころ変わりますから。今まさに、
なくなってるかもしれませんから。
しかも左って……、どっち向いて左なんでしょうか。左は、結局、
どっちの方向なんでしょうか。

このように、地名や通り名や左右は、ひどく恣意的で、相対的で、
その都度価値を変える任意の概念なんです。
そこで、東西南北ですよ。
「ここから、東へ行ってください」
ほら、迷いようがありません。東が方向を変えるなんてありえま
せんし、東と言えば、古今東西、未来永劫、東なんです。

その点、我が郷里、名古屋は安心です。
『錦通り』と言えば、名古屋駅に始まって、池下できちんと終わ
ります、しかも、東西にびしっと走っています。相対性や恣意性
などみじんもありません。
仮に、今、名古屋駅にいたとしましょう。
『錦通りを東に向かって、伏見通りを北へ曲がってください。三
本目の通りの東側です』
ほら、間違えようがありません。(ちなみにそこには、日本銀行
があるんですよ)
道路が万事この調子ですから、僕の周りの愛知県出身の人は、東
京においても、だいたい東西南北で地理を把握していることと思
います。

しかし、東西南北が行き過ぎて、困ったことになる事例もあった
りします。
かつておばあちゃんと二人暮らしをしていたころのこと。
おばあちゃんは、前にもどこかで書いた気もしますが、生粋の尾
張の人間でした。だいたい名古屋文化は彼女から教わった気がし
ますし、彼女自身がすでに名古屋文化だったといっても過言では
ありません。
ですから、もちろん、おばあちゃんは、何をするにも『東西南北』
です。
タクシーに乗れば、「東に行ってちょおでゃあ」ですし、道案内
も、「北へ行った東べた(側)」なのです。
しかし、この『東西南北』、道案内だけにとどまりません。
ある時の事、爪切りを使いたくて、そのありかをおばあちゃんに
聞きました。
「座敷の南べたの棚ににゃあ?」(お座敷の南側の棚にない?)
「は、はあ」
さすがに、家の中では、僕だって、東西南北を意識していません。
そして、扇風機のコンセントを僕に渡しながら、おばあちゃんは、
こう言うのです。
「きよたかさん、わるいんだけど、これ、西べたのコンセントに
差してくれん?」
「…………」

もしかしたら、この年代の名古屋の人間は、北に越境していく渡
り鳥のように、海に帰る生まれたてのウミガメのように、生まれ
つき頭の中にジャイロが備わっていたのかもしれません。いつい
かなる場所においても、常に東西南北を把握できるコンパス搭載
型の人間みたいです。
僕には、もちろんそんな才能はありません。いつしか、名古屋の
人は、この天然ジャイロをなくしてしまったのかもしれませんね。
惜しいことです。

それにしても、いくら、東西南北による方向感覚の方が、優位性
が高いと言っても、ここまで行くと、少々行き過ぎな気がしなく
もないですね。
道案内の恣意性には、ずいぶん腹を立ててしまいましたが、今後
は少し自重したいと思います。

いながききよたか【Archive】2015.07.30

いいなと思ったら応援しよう!

cogitoworks Ltd.
よろしければ、サポート頂けますと幸いです。