【コギトの本棚・エッセイ】 「しんどいわ……、休憩」
30代に入るくらいまでは極度の暑がりで、
冬でもペラッペラの布団一枚で寝ていたのが、
このところ、加齢のせいか、極度の寒がりになってきた。
好きなものはなんですか?と問われればこう答えるだろう。
「超高級羽毛布団が大好物です」
もし、無人島に一つだけ持っていけるとしたら、
僕は羽毛布団を持っていくと思う。
(無人島が常夏の可能性もあるけど……)
だが、先日、この羽毛布団も太刀打ちできない悪寒に襲われた。
そう、あいつの到来だ、その名はインフルエンザ。
家族は即座に隔離政策を開始。
僕は自分の部屋に軟禁され、トイレ以外は外出禁止、
食事もドアの前に置かれ、しかたなく自室で独り食べる始末。
さながら、囚人のようだ。
薬を飲んで、症状は回復傾向、だが、油断は禁物である。
まだ僕の体の中をうろちょろする
ウィルスが家人を襲ったらことだ。
このまま引きこもりを続けるしかない。
しかし、手持無沙汰だ。
そうだ、そんな時こそ、映画を観て、ヒマつぶしをしよう。
だが、なにを観るかが問題。
社会派は少々重い。痛い頭がさらに痛くなりそう。
あと、ヨーロッパ映画もパス。
目の奥がジンジン痛んでるのに、
字幕なんてそんなに読んでられない。
アメリカ映画でも話が複雑なのは遠慮したい。
そこまで英語が聞き取れない。
ヒーロー映画くらいがちょうどいいんじゃないか。
いや、待てよ、日本映画はどうだ、少々ボーっとしても、
言葉は頭に入って来るわけだし……。
結局、あれこれチョイスした結果、
画面からは、『GONIN』が流れ出す……。
石井隆監督の『GONIN』が公開されたのは、1995年。
なんと、もう、20年近くも前なのか。
当時の僕は、大学一年生、確か、わき目もふらず映画館に走った。
で、再見しながら、追憶のように、当時観た感覚が蘇ってきた。
20年の時を隔てて、もう一度観るってなかなかいいものだ。
小説でも、映画でも、マンガでもそうだけど、
タイムトリップして10代の僕と対話できるような気がする。
観ていて、ふと、気がついた。
『日本版「オーシャンズ11」やんけ』
いや、日本版というより、石井隆版というべきかもしれない。
もちろん、「GONIN」には、「オーシャンズ」のような、
大金強奪計画成功の爽快さもない。
代わりに、「オーシャンズ」には、
「GONIN」のような、残酷な殺人描写はない。
『一人の男が、仲間を募り、悪漢から大金をせしめる』
という同じプロットでも、
ソダーバーグが、いかにスタイリッシュに
スマートに映画的にそれを描くかに腐心するのに対して、
『GONIN』は、正義の味方も、悪の組織も、
敵も味方もごった煮にして、
彼等がいかに破滅するかに着目している、
というか、そこにしか目標を設定してない。
もちろんソダーバーグ的な映画へのアプローチは大好物だ。
大作を大作主義的な発想ではなく、
映画をよく作るという発想に立って製作していくことは、
日本映画において唯一
真似できるアメリカ映画の模範だとさえ思う。
でも、日本映画は、『GONIN』におけるような
石井隆的アプローチがメインストリームであり、伝統ですらある。
情緒に訴えるアプローチと言い換えてもいいかもしれない。
そして、今のところ僕はそれを
手放しで良しとはどうしても思えない。
情緒に訴えるというのは、非常に危険なアプローチだと思う。
安易に手を染めれば、怪我をする。
たとえば、料理を楽しむ時、
料理人の苦労話や、素材がいかに貴重かを聞かされても、
全然おいしくならない。
純粋に、その料理がおいしいか否か、
もしくはせめて口に合うかが、問題なのだ。
情緒に訴えると、
おいしく作るということがおろそかになる危険をはらんでいる。
ただ、それは、安易に手を染めた時の話。
『GONIN』は、全然安易じゃなかった。
インフルエンザでボーっとした僕の不安定な情緒を
更にびしばししばき倒して、
ガンガンする頭はガンガンを通りこして、ビンビンになっていた。
ここまでやってくれるなら、情緒に訴えることも、あり!
観終わって、ふと、そもそも、
なんで映画観はじめたんだっけと思い返すと、
ああ、軟禁状態の手持無沙汰のヒマつぶしだったと気づいた。
ヒマつぶしには、少々濃厚な映画だったことは間違いない。
ただ、である。
ラストの「しんどいわ……、休憩」のビートたけしの一言に、
肝が冷えた。
全編通して高まったテンションが、一気に絶対零度に急降下。
そして、いつのまにか、
インフルエンザのせいで上がった
僕の体温も下がっていたのである……。
いながききよたか【Archive】2014.03.01